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1972年「パンダ来日フィーバー」の裏側

飼育員は見守り、外務大臣は乗り込んだ

2016年6月7日(火)

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1972年11月5日、日本で初めて上野動物園で一般公開されたカンカンとランラン
「立ち止まらないで下さい!」。2時間並んで30秒、2kmの行列の先にいるパンダを見るために人々が押し掛けた

 1972年9月、日本と中国の間の国交が結ばれた。そのシンボルとして、中国から日本に贈られたのが、2頭のジャイアントパンダ、カンカンとランラン。上野動物園とその周辺には、愛らしい姿を一目見ようという人で長い行列ができた。2時間待って30秒しか見られなくても、辛抱強く待っていた。

 希少動物であるパンダ。それを中国からプレゼントされたのは日本が初めてではない。

 1971年2月、アメリカのニクソン大統領が中国を訪れ、毛沢東主席や周恩来首相と歴史的な会談を行い、国交樹立へ向けて動き始めていた。しかし、アメリカ国内に長い間、蔓延していた「中国憎し」の感情は、簡単には消えない。そのときに中国がアメリカへ贈ったのが、大熊猫ことパンダだった。

 1972年4月にアメリカ・ワシントンで公開されたパンダは一躍人気者となり、アメリカと中国の敵対していた関係は、急速に過去のものと化していった。パンダが、東西冷戦の雪解けムードを盛り上げたと言ってもいいだろう。もしもパンダが可愛すぎる哺乳類でなければ、今の米中関係は少し違ったものになっていたかもしれない。

アメリカを攻略、次は日本だ

 パンダの威力を目の当たりにした周恩来は、次のターゲットを日本に絞った。

 1972年9月25日、当時の田中角栄首相が5日間の予定で中国を訪れた。目的は日中国交正常化だ。

 田中角栄と周恩来はすぐに打ち解けて、両国の間には、国交正常化は間違いがないという空気が流れた。

 その空気が一変したのは、歓迎晩餐会の席でのこと。田中がスピーチをしたときだ。

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「1972年「パンダ来日フィーバー」の裏側」の著者

河瀬 大作

河瀬 大作(かわせ・だいさく)

NHK番組制作プロデューサー

1993年、名古屋大学大学院文学研究科修了後、NHK入局、ディレクターとして『プロフェッショナル 仕事の流儀』『NHKスペシャル』などを制作。現在、プロデューサーとして幅広く活躍している。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

片瀬 京子

片瀬 京子(かたせ・きょうこ)

フリーライター

1972年生まれ。東京都出身。98年に大学院を修了後、出版社に入社。雑誌編集部に勤務の後、2009年からフリー。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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