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東京五輪、1964年も競技場作りは波乱万丈

代々木競技場「未知の吊り屋根」に挑んだ男たち

2016年7月26日(火)

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 やっと悲願の東京五輪開催が決まったと思ったら、競技場の設計がなかなか進まず、予算が足りず、工期も足りず前代未聞の突貫工事、しかも新工法での工事を強いられて、これでは開会に間に合わないのでは・・・・・・。実は、2020年だけでなく、1964年の東京五輪の前にも、同じ問題が持ち上がっていた。

丹下健三、田中角栄に直談判

 舞台は代々木競技場。独特のカーブを描く屋根は、今や街のランドスケープとしてすっかり定着した。中へ足を踏み入れると、広々としていて視界に柱がない。つまり、観客席のどこからでも競技をストレスなく見ることができる。

代々木競技場は全体が曲線で構成され、独特のシルエットを持つ
天井から降り注ぐ柔らかい光が美しい

 柱がないのは吊り屋根構造だから。あの屋根のカーブは、吊り屋根構造の象徴だ。

 代々木競技場を設計した丹下健三に正式な依頼があったのは1961年11月。東京五輪開催決定は1959年で、その時点で、水泳競技のための新施設建設は必須だったにも関わらず、用地確保の問題などで発注が遅れに遅れていた。

 丹下は4カ月間でデザインを固めて公にする。ときは1962年5月。開会まで、あと2年5か月。

設計者は20世紀の巨匠、丹下健三。彼が世界にはばたくきっかけとなった建築だった

 ここから急ピッチで工事が始まった――わけではなかった。まず最初のハードルはお金。吊り屋根構造が工事費を吊り上げ、五輪組織委員会の予算を大幅に上回ったのだ。入札を辞退するゼネコンが相次ぐことになり「予算のかかるものを設計した人物」に非難が集中するようになった。

 しかし丹下はひるまなかった。当時の大蔵大臣・田中角栄に会いに行き「足りない分は私が考えましょう」という一言を引き出す。これにより予算はアップ。今度こそ急ピッチで工事が始まった――わけではなかった。

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「東京五輪、1964年も競技場作りは波乱万丈」の著者

久保 健一

久保 健一(くぼ・けんいち)

NHK プロデューサー

1972年、千葉生まれ。平成9年NHK入局。「プロジェクトX~挑戦者たち~」「プロフェッショナル仕事の流儀」などの制作に携わる。現在、NHKエデュケーショナルにて「アナザーストーリーズ~運命の分岐点~」や「世界入りにくい居酒屋」などを担当。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

片瀬 京子

片瀬 京子(かたせ・きょうこ)

フリーライター

1972年生まれ。東京都出身。98年に大学院を修了後、出版社に入社。雑誌編集部に勤務の後、2009年からフリー。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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