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病床の口上と抗議の電話…『男はつらいよ』異聞

ハブにかまれて死んだ寅さんは、なぜ生き返ったのか

2016年8月2日(火)

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渥美は最後の撮影現場で、NHKクルーに密着取材を許した。そこで明かした葛藤とは? ※写真は「男はつらいよ」第23作撮影風景

 26年間にわたり全48作が公開された人気映画『男はつらいよ』。それが“帰ってきた寅さん”であることを知っている人は、かなりの寅さんファンだ。1969年に映画第1作が公開される前に、テレビドラマ版の『男はつらいよ』がつくられ、放送されていた。主演はもちろん、すでにコメディアンとしての地位を確立していた渥美清だ。

 ドラマの脚本を担当したのは人情喜劇の名手・山田洋次。一度はフジテレビからの脚本執筆依頼を断っていたが、渥美との2日間にわたる対話を経て「車寅次郎が渥美の中から出てきた」と、生まれも育ちも葛飾柴又、帝釈天で産湯をつかった、人呼んでフーテンの寅を誕生させた。

 寅さんの職業はテキ屋だが、テキ屋は渥美が十数年前から演じたいと思っていた役柄だった。それには渥美の病気が深く絡んでいる。

不治の病とテキ屋の口上

 1950年代半ば、渥美のメインステージは浅草にあった。ストリップ劇場フランス座の舞台をところ狭しと動き回る喜劇俳優として、次の舞台――映画やテレビ――での活躍の機会をうかがっていた。

 ところが、あるトラブルが渥美を襲う。不治の病とされていた結核にかかっていたことが分かったのだ。右肺摘出の手術を受け療養生活に入ると、もう、以前のようには体を動かした演技はできないと感じていた。

 「テキ屋をやりたい」

 そう渥美が話すのを、同じ療養所で体の回復に努めていた梅村三郎は聞いていた。さらには「四角四面は豆腐屋の娘~」と、後の寅さんが得意とする啖呵売を練習する様子も見ていた。渥美は、話芸で魅せる役者に生まれ変わろうとしていたのだ。渥美が生まれた上野の車坂近くにはアメ横があり、小気味よい口上には慣れ親しんでいた。それを新たな武器にしようと考えていたのだ。

 2年間の療養生活を終え、渥美はフランス座の舞台へ戻る。話芸の達人として注目され、映画やテレビにも進出するようになり、そして、念願のテキ屋を演じる機会を得た。

 「それを見たときはね、嬉しかったね」と、療養所で同じ時間を過ごしていた梅村はいう。練習していた口上がテレビの中で再現されたときには「思わずハグしちゃったよ」

渥美が結核から必死で療養していた時代を共に過ごした友人・梅村三郎。療養所でのリハビリが、後の寅さんへとつながっていく

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「病床の口上と抗議の電話…『男はつらいよ』異聞」の著者

久保 健一

久保 健一(くぼ・けんいち)

NHK プロデューサー

1972年、千葉生まれ。平成9年NHK入局。「プロジェクトX~挑戦者たち~」「プロフェッショナル仕事の流儀」などの制作に携わる。現在、NHKエデュケーショナルにて「アナザーストーリーズ~運命の分岐点~」や「世界入りにくい居酒屋」などを担当。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

片瀬 京子

片瀬 京子(かたせ・きょうこ)

フリーライター

1972年生まれ。東京都出身。98年に大学院を修了後、出版社に入社。雑誌編集部に勤務の後、2009年からフリー。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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三品 和広 神戸大学教授