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日航機墜落事故、30年目の初証言(1)

カメラマン、看護師、それぞれの現場

2015年8月11日(火)

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30年前に発生した日航機墜落事故で、御巣鷹の尾根から救出される生存者

 1985年8月12日18時56分に発生した日航機墜落事故から30年。NHKBSプレミアム「アナザーストーリーズ」では、その事故の生存者の近くにいたカメラマン、そして看護師にも取材をした。この人たちがテレビカメラの前で話すのは、今回が初めてだ。

 羽田発伊丹行きの旅客機が群馬県の御巣鷹の尾根に落ち、520人が亡くなり、4人が助かったこの事故は、様々な形で記録に残されている。

 事故を取材する地方新聞社を描いた小説『クライマーズ・ハイ』は、映画にも、それからNHKでドラマにもなっているので、事故当時に物心がついていなかった、あるいは、生まれていなかった方の中にも概要をご存じの方も多いだろう。著者の横山秀夫は当時、群馬のローカル紙である上毛新聞の記者だった。

 その上毛新聞で、今もカメラマンとして働いている伊藤幸雄は当時30歳。事故当日は実家で休暇中だった。

山中5時間、伊藤の視界は突然開けた

上毛新聞の伊藤幸雄カメラマンは詳しい状況が分からぬまま現場に向かった

 事故のことはテレビのニュースで知ったが、どこに落ちたのか、被害規模はどうなっているのか、まったく様子が伝わってこない。今ならGPSが使えたかもしれないが、当時はそういった状況にない。

 伊藤は社に連絡を入れ、群馬県上野村まで行き、そこで夜明けを待った。このとき、ほかの多くの記者は長野県側に行っており、上野村にいた報道陣はわずかだった。

 翌13日午前5時。空が明るくなって、それまではっきりしていなかった墜落現場がようやく特定できた。テレビでは焼け野原に散らばる機体の破片を映し出している。

事故現場に散乱する機体

 伊藤は捜索隊の後について山を登り始めた。休みの日そのままの軽装だったが、迷いはなかった。

「そこはどんなに遠くても行かなくてはならない、どんなに大変でも、それこそ這ってでも行こうと思いましたから」

 十分な装備の捜索隊から遅れ、深い森を飲まず食わずで歩き回ること、5時間。伊藤の視界は突然開けた。

「そこで初めて『ここが現場なんだ』ってことが分かりました」

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「日航機墜落事故、30年目の初証言(1)」の著者

河瀬 大作

河瀬 大作(かわせ・だいさく)

NHK番組制作プロデューサー

1993年、名古屋大学大学院文学研究科修了後、NHK入局、ディレクターとして『プロフェッショナル 仕事の流儀』『NHKスペシャル』などを制作。現在、プロデューサーとして幅広く活躍している。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

片瀬 京子

片瀬 京子(かたせ・きょうこ)

フリーライター

1972年生まれ。東京都出身。98年に大学院を修了後、出版社に入社。雑誌編集部に勤務の後、2009年からフリー。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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