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私は“高さ106cm”のトップ営業マン

歩けないことを強みに変えて

2015年9月30日(水)

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 今回は、私がミライロという会社を立ち上げ、ユニバーサルデザインをコンサルティングする事業に携わることになった経緯について紹介したいと思います。

 きっかけは生い立ちまで遡ります。私は骨形成不全症という病気によって、骨がもろく、折れやすかったり、変形しやすかったりする先天性の病気です。世界では2万人に1人が同じ病を抱えていると言われており、明確な治療法は未だに確立されていません。

子供の頃の私。松葉杖を使って、運動会に参加したことも

 私は現在26歳ですが、今までに骨折は20回以上、手術も十数回受け、人生の5分の1を病院で過ごしてきました。学校に行けない時もあり、運動会にも出られませんでした。遠足や修学旅行にも行けず、悔しい思いをするたびに、心の中ではこうつぶやいていました。「自分はなんてかわいそうなんだ。車椅子生活でなければ、どんなに幸せだろう。歩けるようになりたい」。

 もちろん、私の人生の全てを否定していたわけではなく、楽しかったこともありました。中学生では野球部に所属し、最初はスコアラーでしたが、徐々に欲が出てきて、キャッチボールをするように。それにも段々飽きてきて、キャッチャーならできるだろうとやっているうちに、気がつけば、車椅子に座ったままで、セカンドまでボールが届くようになっていました。

車椅子で野球の試合に

 練習試合にも出ました。守備はさすがに危ないので、代打専門の出場です。打席に立つと無敵でした。なぜならストライクゾーンが非常に小さいので、投手はストライクが入らなくて、確実にフォアボールで出塁できたからです(笑)。

 私が出塁して代走というのが必勝パターン。監督から「代打垣内」と呼ばれると、仲間が「フォアボール製造機の出番だ、また垣内で出塁だ」と沸きます。車椅子の私だからできることもあって、当時の自分を不幸だと思ってはいませんでした。

 しかし歩きたいと言う思いはどうにも消せませんでした。

 高校生の時、障害を克服して歩けるようになろうと、出身地の岐阜の高校を中退し、大阪の病院でリハビリに取り組むようになりました。何度も手術をして、リハビリを必死に続ける毎日。

 ただ、一年半そうした生活を繰り返しても、結局歩けるようにはなりませんでした。希望を失った私は17歳の時、自らの命を絶とうとしたことが、3度ありました。けれど病院の屋上は柵が高くて乗り越えられず、橋の上からは怖くて飛び降りることができなかった。死ぬこともできず、夢も目標もなく、仕方なく生きる日々でした。

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「私は“高さ106cm”のトップ営業マン」の著者

垣内 俊哉

垣内 俊哉(かきうち・としや)

株式会社ミライロ 代表取締役社長

平成元年生まれ。バリア(障害)を価値(バリュー)に変えるというビジョンから、2010年に株式会社ミライロを設立。ユニバーサルデザインの総合コンサルティングを主な業務とする。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

高橋 学

高橋 学(たかはし・まなぶ)

フリーライター

日経トレンディや日経ビジネスムック、ダイヤモンドオンラインなどで執筆。著書は『結局「仕組み」を作った人が勝っている』『「場回し」の技術』(光文社)など。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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