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志賀前会長がWH本社で語った東芝凋落の本質

東芝問題の底流には過信と楽観、遠慮がある

2017年3月14日(火)

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 東芝は米原子力子会社「ウエスチングハウス(WH)」で米連邦破産法11条の適用申請を検討している。そのWHを長く率いてきたのが東芝の志賀重範前会長だ。経営戦略にどんな問題点があったのか。過去の独自インタビューから検証する。

 東芝は3月14日に予定していた2016年4~12月期連結決算の発表を再度延期する見込みだ。

 もともと2月14日に発表予定だったが、米原子力子会社ウエスチングハウス(WH)幹部が経営陣に圧力をかけた可能性が浮上し、決算を延期した。3月14日は決算発表をしないものの、その調査結果について説明を求められそうだ。

 巨額損失や現場への圧力など、東芝の原発問題の中心にいるのが志賀重範前会長だ。2月15日に会長を辞任したが、その後もWH本社にとどまり、問題の解決に当たるという。

 その志賀氏がWH上級副社長だった2009年11月、筆者は同氏を米ペンシルベニア州にあるWH本社でインタビューした。その内容を改めて検証すると、今も東芝の底流にある問題点が浮かび上がってくる。

志賀重範氏は原子力事業における巨額損失の責任を取るため、2017年2月15日付で会長を辞任した(写真:的野 弘路、撮影は2016年3月)

 志賀氏は2006年の東芝によるWH買収を中心となって手掛け、同年12月から上級副社長としてWH本社で勤務していた。その後、同社の社長と会長を歴任している。いわば、東芝の中でWHの内情を最も知る人物の1人である。

 取材時にはエリート然として物腰は柔らかく、高圧的な印象は受けなかった。

スリーマイル島の原発事故の3日後に東芝入社

 志賀氏の会社人生は、原発事故と切っても切り離せない。

 実は、志賀氏が原子力部門の技術者として東芝に入社したのは、1979年のスリーマイル島の原発事故の3日後だった。それから30年以上、原発ビジネスに携わってきた。

 2011年3月に東日本大震災が発生し、東芝が手掛けた福島第一原子力発電所が未曾有の事故を起こす。この事故をきっかけに世界的に原発に対する安全基準が高まり、建設の遅れやコスト増につながり、東芝の経営を根底から揺さぶっている。

 インタビューを実施した2009年は、東芝がWHを買収してから3年が経過していた。2008年にはWHが米国では約30年ぶりとなる原発建設を4基受注し、買収が成功しているように見えた時期だ。

 30年ぶりとはスリーマイル島の事故以来で、志賀氏には感慨もあったのだろう。先のスリーマイル島の原発事故と本人のキャリアとの関係は、記者の質問ではなく、志賀氏本人から自発的に語ったエピソードだった。

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「志賀前会長がWH本社で語った東芝凋落の本質」の著者

大西 孝弘

大西 孝弘(おおにし・たかひろ)

日経ビジネス記者

1976年横浜市生まれ。「日経エコロジー」「日経ビジネス」で自動車など製造業、ゴミ、資源、エネルギー関連を取材。2011年から日本経済新聞証券部で化学と通信業界を担当。2016年10月から現職。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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