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葬儀の変容で失われる「伝統」とは何なのか

国立歴史民俗博物館 日本の葬儀と死生観 山田慎也(3)

2016年4月30日(土)

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いま日本の葬儀が急速に変わりつつある。と同時に「死」の受け止め方も変容しており、日本の葬儀と死生観はある意味で混乱期にあるという。民俗学の立場から、日本の葬儀と死の受容を見つめ続ける山田慎也先生の研究室に行ってみた!

(文=川端裕人、写真=内海裕之)

 かつて共同体の中で行っていた葬儀が、業者だよりになっていく様子を山田さんは和歌山県串本町古座での参与観察の中で見出した。また、新潟県佐渡でもフィールドワークを行い、やはり同様のことが起きるのを目の当たりにした。東京などの都市部では、ずっと前から起きていたことだ。

不連続の連続

 死にまつわる儀礼が、日本全国でごっそりと「外注」されるようになって、ぼくたちの社会での死に対する感覚・意識は変わったのだろうか、と当然のごとく気になる。

国立歴史民俗博物館の山田慎也准教授。
[画像のクリックで拡大表示]

「葬儀のシステムの変化が意識を変えたというよりは、社会の方向として大きな流れがあると思います。例えば今から20年前にやった調査で、東京でも遺体を自宅に一たん病院から運ぶっていうのは、当たり前だったんです。団地でエレベーターがないところでも、業者さんは抱っこして運んでいました。ところが、10年後に調査すると、直接葬儀場に搬送するのが当たり前になっていました。理由は『家が狭いから』。でも、家が狭くても、もしくは階段しかなくても、10年前はやっていたわけです。なので、その理由は後づけでしょう。葬儀のシステムが変わったことで、死者との接点が薄くなって、死を遠ざけるとか、遺体があると怖い、気持ち悪いとかっていう感覚も出てくる。システムによって観念がつくり出されるところもあれば、そうしたものを忌避するって感覚の中でシステムができ上がっていくこともある。不連続の連続、両方がずれながら連続していくようなイメージですね」

[画像のクリックで拡大表示]

 なるほど、そういうメカニズムは想像できる。

 今や、葬儀も死も、ぼくたちが普段暮らしている空間からどんどん遠ざかっている。病院で亡くなり、自宅に戻ることなく葬儀が行われ、日常生活からは死が隠される。隣の家で不幸があったとしても、深い付き合いがなかったら、知らないままの場合すらあるだろう。

 こういう状況の先に行き着いた状態をなんと表現すればいいのか。

 山田さんは、ふと視線を宙に向けてから言った。

「あらためて言われると、難しいなと思うんですけど、要するに、死者をどこで受けとめていくのかというのが、やはり急速に家族化というか、個人化していっていると思います」

 死者の受け止めの家族化・個人化?

 それは、どういう意味なのか。

ナショナル ジオグラフィック日本版2016年4月号でも、独特な葬儀と死生観をもつトラジャの特集「インドネシア 亡き家族と暮らす人々」を掲載しています。Webでの紹介記事はこちら。フォトギャラリーはこちらです。

コメント3件コメント/レビュー

ベビーブーマーが80代前後になると問題が大発生すると雑誌で読みました。
昔からの墓の形態は地震で崩れます。大地動乱の時代はやはりロッカー形式に殆どは
納骨されると良いでしょう。市営又は県営のそうした施設が建設されると貧者には有難いでしょう。
それには神道や仏教はからんでほしくないです。余分な負担金を払いたくないです。(2016/05/23 11:50)

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「葬儀の変容で失われる「伝統」とは何なのか」の著者

川端 裕人

川端 裕人(かわばた・ひろと)

文筆家

1964年、兵庫県明石市生まれの千葉育ち。日本テレビの記者を経て作家に。『夏のロケット』が第15回サントリーミステリー大賞優秀作品賞、「SFマガジン」で「青い海の宇宙港」を連載中。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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記事のレビュー・コメント

いただいたコメント

ベビーブーマーが80代前後になると問題が大発生すると雑誌で読みました。
昔からの墓の形態は地震で崩れます。大地動乱の時代はやはりロッカー形式に殆どは
納骨されると良いでしょう。市営又は県営のそうした施設が建設されると貧者には有難いでしょう。
それには神道や仏教はからんでほしくないです。余分な負担金を払いたくないです。(2016/05/23 11:50)

かつてはご町内の人がこぞって、だった葬儀が、葬儀社のホールで行われるようになり、呼んだ人だけが集まるようになり、そして家族葬さらには遺骨を火葬場から納骨堂などに直接宅急便で送る「直葬」へと。どんどん葬儀が「小さくまとまっていく」。
そして少子化で、ちんまり家族だけで、そして肉親や伴侶だけを弔い、そして自分を弔う子供は居ない、では誰が。。。
高度成長以後の世の中、家族や地域コミュニティの在り方に合わせるように、葬儀も変わってきて、そして、、、「これでいいのかな」と感じます、葬儀も、そして人と人とのつながりの在り方も。(2016/05/02 13:31)

「死者の受け止めの家族化・個人化」は尤もだと思う。地方(田舎)の寺の多くが既に檀家の減少による採算悪化で「業」として成り立たなくなり、サイドビジネスでなんとか食いつないでいるか、或いは無住の寺になっていると聞く。我が家は人口30万以上の地方都市に墓があるが、これも面倒を見るのは定年生活に入っている私の世代までで終わりだろう。子供は息子が一人いるが、アラフォーでも未だに職も安定せず結婚もしていない。然も、現在は故郷と呼べる二つの地からはるかに離れた土地で生活している。この様な状況なので、出来れば私が生きている間に、何かと金のかかる寺の墓を市営墓地に移したいと考えているが、「檀家」というのは「抜け難い」仕組みになっている様だ。因みに、檀家制度とは、寺院が檀家の葬祭供養を独占的に執り行なうことを条件に結ばれた、寺と檀家の関係、だそうだ。「離檀料」は数百万円以上に高騰しているとも聞く。だから地方では、仕事で都会に出て故郷に残った親も亡くなったら寺に行かなくなることで墓を放置するという最悪の方法で実質的に離檀しているのだろう。彼らが都会の寺で永代供養量を払って墓地を用意する訳もなく、公営墓地や樹木葬が流行るのもよく分かる。これからの世の中は大多数を占める「中流階級」は存在せず、一部の金持ち以外は共稼ぎしなければ子供の高等教育さえままならない家庭が主体となる。それなのに、彼らにとって多くの意味を持たない「墓」に事ある度に供養料を納めるだけでなく、十年単位ではあるが本堂の修理、庫裏の建て替えや増築といった工事では何十万円という金額を要求される。で、夫婦共稼ぎの檀家が支える寺の住職がドイツ製の高級車やレクサスを乗り回している姿は本来の宗教とはずれているとしか言いようがない。日本人の多くが、宗教を問われれば「仏教」と答えるのかも知れないが、殆どは「南無妙法蓮華経」以外のお経の言葉すらも唱えられない。実態は無宗教なのに。檀家制度から自由に抜けられる法律を制定し、仏教そのものを改革しないと仏教は儲け主義の商売に成り下がってしまうだろう。(2016/04/30 17:30)

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