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人は3万5000年前、100キロの海を渡った

東海大学 海洋考古学 小野林太郎(2)

2015年11月28日(土)

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もともと陸の生き物である人類はどのように海洋世界に適応したのか。そして、最後のフロンティアだったポリネシアにどうやって拡散したのか――。海を通じて世界を見渡し、実にスケールの大きな研究を繰り広げる小野林太郎さんの研究室に行ってみた!

(文=川端裕人、写真=藤谷清美)

 東海大学海洋学部の小野林太郎准教授が中心的なフィールドにしている「ウォーラシア」の多島海は、2度の人類拡散の回廊のような役割を果たしたかもしれない海域だ。

 人類拡散というとよく、アフリカを出てユーラシア大陸を渡り、南北アメリカを縦断してパタゴニアまで到達して完成! というイメージを抱く。しかし、実は「海のグレートジャーニー」というべきルートが存在していたことも、海に親しい島国に住む我々は、意識しておきたいではないか! と力こぶができてしまう。

 オセアニアへは、人類史上2回、核となる大きな移住があったというのが前回のお話。1度目はオーストラリアとニューギニア、そしてメラネシア。いわゆるニアオセアニアまで。2度目ははるか太平洋をわたり点在するポリネシアの島々に移住していった。この時、なぜ拡散領域に差がでたのだろうか。

カギは農耕

東海大学海洋学部海洋文明学科の小野林太郎准教授。

「航海術が発達したことはもちろんなんですが、もうひとつ大事なのは農耕だと考えられています。1回目の波で移住された島よりも先に行こうとすると、面積が小さいんです。島嶼面積が小さいものですから、やっぱり島あたりの資源っていうのが非常に限られるわけで、そういったところに例えば狩猟採集民が行ってやっていけるかどうかっていう話があります。で、2回目の波の人たちは新石器時代の農耕が出た以降の時代です。基本的に農耕の知識や技術を持っていて、離島の非常に資源の限られている島々にも移住しても継続的に居住できたんじゃないかというふうに、一般的には考えられています」

 こういった一連の流れの中で、小野さんの主たるフィールドであるウォーラシア海域の島々にはどんな特徴があるのだろう。

コメント1件コメント/レビュー

人にはロマンが必要だ。3万五千年前どうやって100キロの海を渡ったか。その暮らしぶりがわかったら楽しい。まだまだ「面白いことがありそうだ。」きっとこの気持ちが人を進歩させる。進歩はヒトの未来の可能性を広げる。頑張ってください。次回を期待しています。(2015/11/30 17:37)

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「人は3万5000年前、100キロの海を渡った」の著者

川端 裕人

川端 裕人(かわばた・ひろと)

文筆家

1964年、兵庫県明石市生まれの千葉育ち。日本テレビの記者を経て作家に。『夏のロケット』が第15回サントリーミステリー大賞優秀作品賞、「SFマガジン」で「青い海の宇宙港」を連載中。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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人にはロマンが必要だ。3万五千年前どうやって100キロの海を渡ったか。その暮らしぶりがわかったら楽しい。まだまだ「面白いことがありそうだ。」きっとこの気持ちが人を進歩させる。進歩はヒトの未来の可能性を広げる。頑張ってください。次回を期待しています。(2015/11/30 17:37)

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