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再生へ始動「落ちた復興のシンボル」

巨大植物工場は脱・補助金頼みで活路探る

2016年2月5日(金)

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「復興のシンボル」は再生に成功するだろうか。

 東日本大震災で津波をかぶった宮城県名取市の農地で昨年9月、野菜の植物工場が再稼働した。もともと震災後に農家が建てて運営していたが、経営に行きづまって昨年1月に破綻していた。施設を買い取って再建したのは地元の運送会社だ。今回は「復興の象徴」と言われた施設の立ち上げから破綻までの経緯と、再生の行方について考えてみたい。

震災の補助金3億円で巨大な植物工場

 施設の運営会社は、3人の農家が震災の年の11月に設立した。3人のうち2人は60代の兼業農家。もう1人は50代の専業だが、被災したときにつくっていたのは花だ。だれひとりとして、機械で溶液の温度を管理し、野菜を育てる技術をもっていなかった。そして3人とも、震災前は植物工場をつくることなど考えていなかった。

 立ち上げで中心となった兼業農家は震災直後、「もう農業はやめよう。年金が出るまであと数年だ」と思っていた。町でたまたま2人と会っても、お互いに口から出るのは「この先どうしよう」という戸惑いの言葉ばかりだった。そんなとき、東京のコンサルティング会社が被災地に植物工場を建てることを提案していることを知った。

 津波で農地や農機具を失った農家たちが、新しい施設をつくって営農を再開しようと思うことじたいは自然なことだ。課題は、3人が栽培技術も売り先も持っていなかった点にあった。だがこれは、時間をかけてノウハウをつめばクリアできないハードルではない。本当の問題は、震災からの復興を名目に3億円近い補助金が出たことにある。ふつうの農家のビニールハウスとは比較にならない巨大な施設が誕生したのだ。

 自省を込めて言えば、施設が稼働し始めたばかりの2012年6月に現地で取材したとき、「大丈夫だろうか」と心配はしたが、これほどあっさり破綻するとは思わなかった。中心となった農家の「3年苦労して、5年で実らせて、10年で後継者を育てる」という決意を聞き、復興のエピソードとして紹介した。

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「再生へ始動「落ちた復興のシンボル」」の著者

吉田 忠則

吉田 忠則(よしだ・ただのり)

日本経済新聞社編集委員

1989年京大卒、同年日本経済新聞社入社。流通、農政、行政改革、保険会社、中国経済などの取材を経て2007年より現職。2003年に「生保予定利率下げ問題」の一連の報道で新聞協会賞受賞。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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