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別府温泉が衰退を乗り越えた3つのワケ

国際観光と景観、地域を支える住民視点

2015年10月6日(火)

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バブル崩壊で観光客200万人減、別府はいかに再生したか

 まずは別府が観光地としてどのような発展を遂げたのか、そのを歴史を簡単に辿ってみましょう。別府の歩んできた道は日本の繁栄と衰退の歴史そのものです。

 別府の歴史は1868(明治元)年、旧幕府領が日田県となり、2年後、別府支庁が設置されたところから始まりました。観光では1870年代に二つの港が整備され、大阪航路が開設されたことで関西との人の行き来が生まれました。温泉の開発は1882年、新たな温泉掘削技術が導入されたことで一気に進み、1923年には湯口数は1584孔に達しました。

 1910(明治43)年になり、現在のJR日豊本線が別府に到達。この時、鉄道敷設に来た技師、千寿吉彦は別府の開発を夢見て、当時厄介者でしかなかった地獄を別荘地の泉源として買収。管理人が海地獄を覗き見する湯治客から料金を徴収したところから見世物となりました。その後、別府観光の祖とされる油屋熊八(現亀の井バスの創業者)がガイド付き「地獄めぐり遊覧バス」を開設したことで、別府は観光地として発展を遂げていったのです。

 地域開発の初期段階においてインフラ整備と技術革新は大きな役割を果たしますが、観光地として発展するにはそれだけでは不足です。別府市の「湯けむり景観保存管理調査報告書」によれば、当時地獄は長雨の後に熱泉の水位が上がり、溢れ出した熱泉で田畑が荒らされたとの記録もあり、地元では『熨斗に一升瓶を付けるから持って行ってくれ』と言われる厄介ものだったといいます。その可能性を見出し、商品化する人の存在がなければ、今の別府はありません。また別府が全国に知られるようになったのは戦後、昭和天皇の巡幸の報道によると報告書は記しています。

 戦後、別府は国際観光温泉文化都市建設法の指定を受け、復興への道を歩みはじめます。1950~60年代にかけ別府では様々な観光開発が行われ、宿泊施設は大型化、施設数は6年間で300軒も増加しました。1973年にはオイルショックにより倒産や廃業に追い込まれる事業者が出たものの、1976年には観光客数は1312万人(当時の調査方法による)に達し、別府観光はピークを迎えました。

 しかし、1985年のプラザ合意により円高が進むと、海外旅行に客を奪われ徐々に衰退、1993年にはバブル崩壊で観光客は一気に200万人減少しました。

国際観光に注力、留学生も急増

 別府の復活に至る道は、大きく3つの柱でくくることができます。

 その一つが、一貫した「国際観光」への取り組みです。古くは1937年、別府と阿蘇、雲仙、長崎を結んだ国際観光ルート構想を契機にした「別府国際温泉観光大博覧会」の開催に始まり、1950年には「別府国際観光温泉文化都市建設法」の指定を受けました。バブル崩壊直後の1994年アジアの12か国、37地域の首長らが参加した「アジア九州地域交流サミット」は2002年まで8回に渡って開催。2000年には立命館アジア太平洋大学(APU)を誘致、国際交流都市宣言を行いました。

 これにより2001年の別府市の外国人登録数2100人のうち、APU(904人)、別府大学(420人)、別府女子短大(37人)と留学生が64%を占めるようになり、この年1-9月期の外国人宿泊客数は9万5000人となりました。2002年には留学生の経済支援等を目的とした構造改革特別区域計画「留学生特区」の認定を受け、その後、APUはアジア地域を中心に世界の3分の1を超える80の国と地域から2500人の留学生を集め、在校生の約4割、教員も半数近くが外国人となっています。

 留学生はインターネットを使い別府の観光情報を発信したり、クルーズ船寄港時等に観光客の案内や通訳を務めるなどして訪日観光客誘致にも貢献しています。卒業生には別府でカフェなどを開業したり、市内の旅館やホテルに就職する人も少なくありません。35の国や地域の108の大学、研究機関と提携しているAPUの取り組みは注目度が高く、国内外からの視察も相次いでいます。

 またAPUの陰に隠れていますが、別府大学では市が国際化を重要施策に加える前から国際交流をテーマに掲げ、中台韓や英米仏などの35大学と提携、毎年学術交流研究会を開催。別府女子短大は中国の学校と提携し、推薦留学生の受け入れを行っています。

 別府における国際的な取り組みについては、1980年代からボランティア団体も大きな力を果たしてきました。今年5月に設置された外国人生活支援相談窓口業務は、その一翼を担ってきた一般財団法人別府インターナショナルプラザに委託され、英語、中国語、韓国語に対応できるスタッフが観光客や外国人住民の生活相談などに対応、日本語や書道の教室など日本文化に触れる場の提供等も行っています。

 市民と留学生との交流の機会はこれ以外にも、国際交流の船、国際理解教室、英会話教室など様々なかたちで提供されており、市民と留学生の距離を縮め、互いの理解を深めるのに役立っており、地域のイベントに留学生が招待される機会も増えています。

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「別府温泉が衰退を乗り越えた3つのワケ」の著者

水津 陽子

水津 陽子(すいづ・ようこ)

合同会社フォーティR&C代表

経営コンサルタント。合同会社フォーティR&C代表。地域資源を活かした観光や地域ブランドづくり、地域活性化・まちづくりに関する講演、コンサルティング、調査研究、執筆等を行っている。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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