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いちごの角度まで指示を出す、柿安本店のこだわり改革

柿安本店社長 赤塚保正氏に聞く

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2015年10月27日(火)

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柿安本店のルーツは1871年に開いた牛鍋店「柿安」。この老舗企業の中興の祖が、赤塚保正社長の父、名誉会長の保氏だ。精肉と牛しぐれ煮を主力にしていた2001年、BSE(牛海綿状脳症)問題で会社は危機に直面したものの、保氏は惣菜店「柿安ダイニング」の大量出店に踏み切り、V字回復に成功。精肉、惣菜、和菓子、レストラン、食品という5つの事業を展開する全国区の企業に変貌させた。赤塚社長がカリスマ社長だった先代の後を継いで10年目。代は変わっても脈々と受け継がれているのは、並々ならぬ商品へのこだわりだ。

中興の祖である先代の後を継ぐのは、やりづらかったのではと想像します。

あかつか・やすまさ
1963年三重県出身。87年慶應義塾大学法学部卒業後、米国に留学。89年柿安本店に入社。98年、取締役レストラン営業部長。常務、専務を経て、2006年12月に社長就任(写真/菊池一郎)

赤塚:父は、何でもできましたからね。優れた経営者かつ職人で、惣菜事業の立役者でもありました。父と私とでは、人生経験や苦労の度合いがまるで違います。だから最初は、自分に務まるのかどうか自信がありませんでした。

 実際、父は後継者としての私に物足りなさを感じていたようです。「あいつは真面目すぎる。何をやりたいかの意思表示をしない。(後継者に指名した)俺の判断は、間違いだったのかもしれない」とさえこぼしていたそうですから。

 確かに専務時代、父の指示に従うだけで何もしませんでした。父が「やるぞ!」と社内に大号令をかけても、「へえー、やるんだ」と冷めていたくらいです。

社長になったときに私人の自分は捨てた

 

なぜそこまで引いた態度を取っていたのですか。

赤塚:父はやはり当社の中興の祖。そんな人より前に出てはいけない。やるべきときが来たら、やればいいと思っていました。

 ただ、今になって考えてみると、恐らく自分への言い訳だったのでしょう。父と同じ土俵ではとてもではないが戦えません。

 だから、どうしたら父とは違う切り口で経営できるのかと、いつも悩んでいました。自分なりにいろいろと考えていたつもりでしたが、父にはそう見えてはいなかったのでしょう。

 社長交代時期がいよいよ近付き、父の番頭から「社長が心配しています。大丈夫ですよね」と聞かれたので、父にこう宣言しました。「ちゃんと社長をやるから。今日から、私人の赤塚保正は捨てる。公人の赤塚保正として生きる」と。

 事実、社長になってから、父から「自分でどんどんやっていけとは言ったものの、それにしても全く俺に報告してこない」とぼやかれました。それでも父が代表権を持っていた最初の2年間は指示を聞いていたし、報告もしていましたよ。本格的にアクセルを踏んだのは就任5年目からです。

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