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追悼・下河辺淳さん 戦後の国土開発を担った男

角栄に背を向けた”霞ヶ関の神”は震災に人を思い、縄文を理想に

2016年8月25日(木)

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 8月17日の早朝。

 未明までリオ五輪でのニッポン卓球女子の奮戦ぶりを伝えるテレビ中継に釘付けとなっていたためほとんど睡眠時間がとれないまま、私は茨城県つくば市の研究学園都市へと向かっていた。

 その途上の車中で開いた朝刊はリオ五輪で大活躍の日本チームの記事で埋め尽くされていたが、そのニュースに埋もれるように各紙が伝えていた訃報に釘付けになった。

 下河辺淳氏が死去 92歳
 元国土事務次官「ミスター全総」
 (日本経済新聞)

 評伝・模索し続けた国土の未来
 戦後開発、一貫し携わる
 (同・編集委員 谷隆徳)

下河辺淳さん。1923年、関東大震災の年に東京で生まれ、2016年8月13日に91歳で逝去された。(写真・山根事務所アーカイブス)

 戦後の日本は、優れた官僚システムによって創られたと言われるが、下河辺さんはその官僚の象徴であり、今後100年、これほど卓越した官僚は生まれないのではと思わせたのが下河辺さんだった。
 もっとも私が下河辺さんのことを記事にしたのは、阪神・淡路大震災の復旧・復興についての2つの対談のみだった。

 1995年1月17日の未明、兵庫県南部地震が発生した。
 早朝のニュースで神戸市が壊滅状態に陥ったことを知り、血の気が引いた。
 というのも、私は1991年4月5日号から「週刊ポスト」(小学館)で「メタルカラーの時代」という連載を開始(当初は異なる連載標題だったが)、日本のものつくりや土木・建設などのインフラ構築がいかに凄い技術によって実現してきたかを、「これぞ日本の誇り」として伝え続けていた。連載はすでに180回を超えていたが、兵庫県南部地震による神戸の惨状は、私が伝えてきたことをことごとく否定しているように思えた。日本の国土建設も、日本の技術も、これほど脆弱だったのか…。もはや、この連載を続けられないのでは、と思ったのである。

下河辺さんしかいない

 1月17日は火曜日でこの連載の校了日だったが、この巨大災害をどう受けとめるかの対談を緊急で行い、次週の発売号に掲載したかった。そこで編集担当の奈良巧さんにお願いした結果、この日の夜までに原稿が入れば差し替え入稿してくれることになった。

 問題は、今から対談の適任者を探し、今日、できるだけ早い時間での緊急対談が可能かどうか、にあった。地震や巨大災害、インフラ建設の専門家に片っ端から電話をしたが、災害発生から5~6時間しか過ぎていなかったため、ことごとく断られた。
 テレビが写し出す神戸からの中継映像では、まるでSF映画のように市内のあちこちから火災の大きな煙が立ち上っている……。

 次々に対談候補者に断られていた時、家内がこう言ったのだ。
 「下河辺さんしかいないのでは」

 下河辺さんは、経済企画庁の総合開発局長、後に国土庁事務次官として日本の国土開発(「全国総合開発計画」の「一全総」から「五全総」まですべての計画)を担った日本という国のプロデューサーだった人だ。国土庁を退任後、政府のシンクタンクである総合研究開発機構(NIRA)の理事長に就任、1992年からは東京海上研究所の理事長を務めていた。

 確かに、下河辺さんしかいない!

 すぐに電話で依頼したところ、「今日は夕方から短時間しか時間がとれない」とのことだったが、「それでもいいので」と伝え、いさかか強引に東京駅前の同研究所へと駆けつけた。

 対談のテーマは、神戸の復旧・復興をどう進めるか、だ。
 下河辺さんは巨大災害とは何か、災害と国土開発、インフラ技術の限界などを淡々と語り始めた。
 また、明治維新以降、国際貿易港となった神戸は日本の近代化の要として大都市に成長した後、船舶経済から航空機経済への移行により斜陽化が始まったが、ポートアイランドなどの建造で蘇生を果たしてきた。その歴史をふり返りながら、神戸がもつ立ち直る力への期待を淡々と語った。

 対談の開始は震災発生から半日も過ぎていない午後4時だ。
 理事長室のテレビには「死者250人」というテロップが流れていた段階なのに(後に死者6434名、行方不明者3名と判明)、下河辺さんは、いつもながらの遠くを見つめる視線で、低音で太い、そしてゆっくりした口調で復興のありようを話し続けるのだ。その沈着さには、あらためて敬服した。

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「追悼・下河辺淳さん 戦後の国土開発を担った男」の著者

山根 一眞

山根 一眞(やまね・かずま)

ノンフィクション作家

ノンフィクション作家として先端科学技術分野の熱い人間像を描き続ける一方、3.11被災地支援活動も人生の大きな柱です。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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