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「考える経営」が現状を打ち破る

元会長、都築幹彦氏に聞く「ヤマト誤算の検証」(下)

2017年6月16日(金)

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残業代未払いや荷物の増加に伴う当日配達の見直しなどで揺れたヤマト運輸。現場の問題への対応に遅れたとされるヤマト運輸の経営の問題に対してどう考えるか、同社元会長・都築氏にさらに意見を聞いた。都築氏は「(経営の立て直しのためには)会社を作り変えろ」と説き、「信頼」「挑戦」「人」など、ヤマトが取り組むべき課題を挙げる。
都築幹彦(つづき・みきひこ)氏
1929年(昭和4年)東京生まれ。慶応義塾大学卒業後、大和運輸(現ヤマト運輸)に入社。路線部営業課長時代、営業部長に着任した小倉昌男氏と出会い、その後35年にわたり共に働く。一方、昌男氏の父で創業者の小倉康臣氏からも信頼を得ていた。昌男氏とともに宅急便事業に取り組み、全国ネットワークへと育て上げた。87年から社長、91年から会長、93年に相談役に就任し95年、昌男氏とともに退任した。著書に「どん底から生まれた宅急便」(日本経済新聞出版社)。

「どん底」のヤマト運輸から生まれた宅急便

前回のインタビューの最後で、都築さんは「会社は作り変えることができる」とおっしゃいました。実際に都築さんは小倉昌男さんと一緒に宅急便事業を育て上げ、ヤマト運輸を大きく作り変えてこられましたね。

ヤマト運輸元会長・都築幹彦氏(以下、都築):僕は35年にわたって、小倉昌男さんと一緒に仕事をしました。ちょうど、僕が30歳で路線部の営業課長だった時に、4つ年上の小倉さんが営業部長になったんです。それ以来、ほぼ一緒なんです。
 この路線部というのは、ヤマト運輸の中でも主力のトラック事業の部門なのですが、赤字続きなんです。小倉さんは飲みに行くと「この会社はつぶれるんじゃないか」と嘆いていました。もちろん、小倉さんにとってヤマト運輸は、親父さんである小倉康臣さんが創った会社で、いつかは自分が継ぐという意識もあったと思います。でも、僕も一緒になって「古いばっかりで、この会社はだめですね」と言ってました。
 言ってみれば、宅急便が生まれる前はヤマト運輸の「どん底」の時代だったのです。

宅急便は苦しい状況の中で生まれたということですね。

都築:実は、宅急便の原点には、康臣氏が戦前に作った「大和便(やまとびん)」というサービスがあるのです。これはイギリスの運送会社が手掛けていた輸送サービスを参考にして作ったものですが、関東域内で運送事業をする免許を取り、個人間の荷物を運ぶ路線ネットワークを作ってドアツードアで荷物を運んでいたのです。これは非常に成功していたということです。

そういう先見性も持っていたのに、戦後、東京-大阪という幹線への進出で遅れをとり、ヤマトの経営は苦しかった。なぜでしょう?

都築:僕もね、そのことについて、疑問に思っていたんです。そこで創業者の康臣さんに直接尋ねたことがあります。路線部の営業課長時代、康臣さんの出張のかばん持ちをすることになり、お供して得意先を回る機会があったので、そのとき思い切って尋ねたんです。
 まず、関東にネットワークを作っていたのだから、関西でも認可をとってネットワークを作ればよかったのに、そうしなかったのはなぜかと。すると、取ろうとしたときには、もうすでに西濃運輸さんや福山通運さんが関西を中心に動いていて、取りたいけれど取れなかった。向こうが強くなっていた、という答えが返ってきました。

 東京-大阪間の幹線も西濃さんや福通さんが先行して、ヤマトはそれから5~6年たって免許申請したそうです。そうしたら関西の運送業者が、運輸省に対して、ヤマトに認可を出すのを反対して、結局、遅れをとったということでした。康臣さんにすると、当時は道路も車もあまりよくなかったので、東海道はトラック輸送より鉄道、という見方をしていたと思います。そこで、遅れた面もあるかもしれません。

 最終的にはヤマトも東京-大阪間に進出しましたが、すでにライバルが荷主を押さえていました。僕自身、営業を担当したんですが、まったく取れなかった。苦労しました。
 ドル箱路線の東海道を走る運送会社は長距離業者と呼ばれ、一方で、ヤマト運輸は近距離業者だと言われて、「かつては一流だったけど、今は三流」とも言われました。悔しい思いをしました。

ヤマトは近距離業の事業でどのような荷物を手掛けていたのですか?

都築:百貨店の荷物の配送とか、家電製品の配送などですね。三越(現三越伊勢丹)さんや、松下電器産業(現パナソニック)さんが大きな顧客でした。それから旧国鉄の荷物を運ぶ通運事業も売り上げを立てていました。

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「「考える経営」が現状を打ち破る」の著者

村上 富美

村上 富美(むらかみ・ふみ)

日経ビジネス副編集長

日経ビジネス編集委員を務めた後、リアルシンプル日本版副編集長、日経ヘルス・プルミエ編集長、エコマム編集長など女性向けの雑誌づくりを経験。2017年4月から日経ビジネスに副編集長として復帰。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

大西 孝弘

大西 孝弘(おおにし・たかひろ)

日経ビジネス記者

1976年横浜市生まれ。「日経エコロジー」「日経ビジネス」で自動車など製造業、ゴミ、資源、エネルギー関連を取材。2011年から日本経済新聞証券部で化学と通信業界を担当。2016年10月から現職。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

大竹 剛

大竹 剛(おおたけ・つよし)

日経ビジネス記者

2008年9月から2014年3月までロンドン支局特派員。2014年4月から東京に戻り、流通・サービス業を中心に取材中

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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