• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

母は「認知症?私はなんともない!」と徹底抗戦

認めたくないのが人情だが、病院には行かねば…

2017年3月16日(木)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

(前回→「『事実を認めない』から始まった私の介護敗戦」)

 人生を存分に楽しんできたはずの母に、認知症の疑いが生まれた。さんざん目を逸らしてきたが、いよいよ事実かどうかを確かめねばならない。「病院に連れて行かなくては」。

 …といっても、まずどの病院のどの診療科につれていくかを調べなくてはならない。

 幸い、妹の友人に認知症専門医がいたので、まずはメールで相談をするところから始めた。どの診療科にかかるのか。どのような治療法があるのか、今後どのような経過をたどるのか。そして家族として一番気になる「いったいどの病院のどの医師にかかるのが良いのか」。分からないことだらけの中から、ひとつひとつ何をどうすればいいのか調べていった。

 が、ここで問題になったのは、母本人が病院に行きたがらないということだった。
 母は「私はなんともない」といい、徹底抗戦した。

 前回述べたような母の状態は、認知症の始まりであろう、というのは、素人にも容易に想像がついた。が、事実を認識することと、受け入れることとは違う次元の問題である。

本人が最も受け入れられない

 私自身も、母が認知症ではないかということを受け入れがたかったのだが、母本人はそれ以上に「自分が認知症を発症した」ということを受け入れることができなかった。もともと病気知らずの人だったので、病院に行く習慣もない。「私は平気よ。なんで私が病院なんか行かなければならないの」といって、拒否した。

 母は理性的ではあるが、それ以上に感情の人でもある。感情的に納得できないことには、強い抵抗を示す性格であることはもとより知っていた。が、認知症に関しての抵抗はことのほかすさまじかった。

 その態度を理解することはできる。そもそも認知症では、本人に病気の自覚はないのが普通だ。脳の病変では、記憶とか自我とか性格と言った、自分自身そのものが変化・劣化していく。変化しつつある自分で、自分の変化を客観的に認識するのは非常に難しいということなのだろう。まして、認知症は少し前まで「痴呆症」という差別的な名称と共に恐怖と軽蔑の対象だった。

 自分がそんな病気にかかっているとは認めたくないのが人情だ。私だって自分が認知症を発症した場合、するりと事実を認められるか自信がない。

コメント12

「介護生活敗戦記」のバックナンバー

一覧

「母は「認知症?私はなんともない!」と徹底抗戦」の著者

松浦 晋也

松浦 晋也(まつうら・しんや)

ノンフィクション作家

科学技術ジャーナリスト。宇宙開発、コンピューター・通信、交通論などの分野で取材・執筆活動を行っている。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック