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最終回:昭和30年代前半 母が見た日本の会社

三菱電機の関係者の方、ご容赦下さい!

2017年8月8日(火)

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 この連載も最終回だ。第1回で、私の母が若い時に丸の内の財閥系企業で働いていたという話を書いたら、「もっと書いて下さい」というご要望をけっこういただいた。担当の編集Yさんも「やりましょう」という。

 というわけで、以下は本当のおまけ。10年以上以前、母がまだまだ元気な頃に聞き出した、昭和30年代前半の、丸の内企業勤務の女子社員がみた、日本のサラリーマンの実態である。

実は母は三菱電機に務めていたのでした

 母は、昭和32年(1957年)春に大学の英文科を卒業し、丸の内の財閥系企業に入社した……ええい、60年以上も経っているのだから、もう実名を書いてもいいだろう。卒業したのは日本女子大学、就職したのは三菱電機である。

 まったくもって申し訳ありません。以下、けっこう三菱電機の悪口が続きますが、これを読んでいる三菱電機の関係者の方は、60年以上昔のハタチちょいの小娘が言った愚痴と思って見逃して下さい。

 母は卒論を、14世紀イギリスの詩人チョーサーが著した「カンタベリー物語」で書いた、と言っていた。「古英語における二人称の変遷」で講釈されたことがあるが、当然当方の頭に収まるようなものではなく、何を話してくれたかは蒸発してしまっている。

 古英語で卒論というとなにかすごそうだが、どこまで身に付いたものだったのか……いちど「西脇順三郎さんの授業があってね」と言い出して、びっくりしたことがある。西脇順三郎(1894~1982)――「旅人かへらず」「あむばるわりあ」などで高名な大詩人だ。イギリスに留学して英文学を研究した碩学でもある。

 こっちは興奮して「どんな人だった?」と尋ねたが、答えは「とっても厳格で怖い人だった」というものだった。あの西脇順三郎を目の前にして、そんな感想になるなんて……確かに真面目に勉強していたのかも知れないが、授業に知的・文学的興奮を感じていたのかどうかは分からないな、と思ったものである。

 ともあれ、大学を卒業すると、母は東京・丸の内の三菱電機本社で働きだした。就職は試験を受けたのではなく、縁故就職だった。

 母の母、つまり私の祖母が当時は学校教師をしており、勤務先の校長から三菱電機の会長に話がつながったのだという。本社所在地は東京都千代田区丸の内二丁目三番地の東京ビル内。現在は三菱商事ビルが建っている場所である。

都電の走る東京で

 昭和32年、景気循環では神武景気の末期である。交通面では、路面電車の最盛期だ。昭和30年の段階で、東京の路面電車は213km、40系統もの規模を誇っていた。

 この年の1月、日本初の南極越冬を目指す西堀栄三郎隊が、南極大陸に上陸している。6月には日本コカコーラが設立されてコカコーラの国内ボトリングを開始した。8月には日本初の原子炉であるJRR-1が茨城県東海村の日本原子力研究所で稼働している。10月には5000円紙幣の流通が始まった。それまでは1000円紙幣が最高額紙幣だったのだ(ちなみに1万円紙幣は翌昭和33年に流通開始)。

 三島由紀夫が「美徳のよろめき」を発表し、「よろめき」が流行語になったのもこの年。プロ野球では西鉄ライオンズ投手の稲尾和久が20連勝を記録し、「神様、仏様、稲尾様」と称されたのもこの年である。

 当時、まだOLという言葉はない。母らはBG、ビジネス・ガールという和製英語で呼ばれた。

 母が配属されたのは、海外事業本部の調査部というセクションだった。

本連載、ついに単行本化。
この最終回のあとに、さらに一章分加筆されております。

 お待たせいたしました。ご愛読いただいている「介護生活敗戦記」が『母さん、ごめん。 50代独身男の介護奮闘記』として単行本になりました。

 非常に実践的(なんせ、著者自身のPDCAの塊ですから)、かつ、ノンフィクションならではの迫力で一気に読める本です。担当編集者の私自身もそうですが、老いていく親を気遣いつつ、日々の生活に取り紛れてしまい、それでもどこかで心配している方は多いと思います。そういう方は、「いざというとき」を恐れつつ、松浦さんと同じように事態を直視するのがイヤなので、介護のハウツー本を読む気にはなりにくいし、もし読んでもリアリティがなくて、「あ、そういうことなのか」と腑に落ちるのは、なかなか難しい。

 その点、この本は、老いた親を持つビジネスパーソンが、いざ介護となったときにどう態勢を構築するかを学ぶための、リーダビリティと実用性を併せ持っていると思います。実際、この本を校了してから、私、田舎に帰省して、さっそく超活用してしまいました。(いずれ、いかにこの本を使ったか、書いてみたいと思っております)。

 そして、まとめて最後まで読むと、この本が原題とは大きく改題された理由もお分かりいただけるのではないでしょうか。単なる介護のハウツーを語った本ではない、という実感があったからこそ、ややセンチな題となりました。

 どうぞお手にとって改めてご覧下さい。夕暮れの鉄橋を渡る電車が目印です。よろしくお願い申し上げます。(担当編集Y)

---------読者の皆様からのコメント(その4)---------

●親のためにとやっていることは、実は遠からず自分のためにもなることです。子どもは、自分が年を取るということを、なかなか実感できません。

●最後の妹さんの言葉に決壊!NBOで泣いたの、初めてだわ。

●引越しを通じて母の老いを実感、今後に漠然とした不安とストレスを抱えていました。そんな時にこの連載を見つけ、毎回真剣に読ませて頂いています。方向性が見えてきて少し気持ちが楽になりました。

●数年後にやってくるであろう親の介護の参考にと、毎回読ませて頂いています。
松浦さんの著作(はやぶさ2関連)を読んだ際、詳細な事実を解りやすく、かつエキサイティングに伝える筆力に圧倒されましたが、やはりノンフィクションライターとして稀有な方との思いを今回の記事で新たにしました。

●よくぞ書いてくださった。今回は、これ以上の表現を思いつきません。

●今回の記事は読むのがとても辛く、切なかったです。涙がこぼれました。

●何と言っていいのかわかりませんが、介護の大変さや辛さが伝わってきました。筆者の方にただただ頭が下がる思いです。親の介護、改めて真剣に考えないといけないと思いました。

●介護奮闘記のシリーズの肝は今回の「死ねばいいのに」という感情に集約されるのではないか、と私も両親の介護を経験して思いました。それを正直に吐露した筆者には頭が下がります。言葉に出すか出さないかに関わりなく、「この苦労から解放されたい」という感情は介護をした人なら誰でも経験する普通の出来事、決して本人を責めることがあってはなりません。この心の葛藤こそが介護を辛いものとする根本原因です。

●NBOの過去の連載中、最も「参考になった」をクリックしている気がします。これが介護のリアルなんですね。

●どんな境遇にあっても等しく、堂々と救済を受ける権利は誰にでもある、このコラムを読むとそういう世の中であるべきと強く思います。

●個々の背景はどうであれ少子化や核家族化が現実に進んでいる中、この記事は同じような状況になり得る多くの方の参考になり得るという意味で大変貴重なものに思えます。

(連載にいただいたコメントから引用させていただきました。こちらに引用しきれなかった方々も含め、皆様のご支援で単行本化が実現しました。本当にありがとうございます)

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「最終回:昭和30年代前半 母が見た日本の会社」の著者

松浦 晋也

松浦 晋也(まつうら・しんや)

ノンフィクション作家

科学技術ジャーナリスト。宇宙開発、コンピューター・通信、交通論などの分野で取材・執筆活動を行っている。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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