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介護生活敗戦記 最終回:昭和30年代前半 母が見た日本の会社

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そう、若くて現役のころは正常な判断力もあり、自分のすることがきちんと分かっていたんですよね。そして社会の構成員としての役割を担っていたわけです。しかも、両親のことですから、親として尊敬していた相手でもあります。
ところが、認知症で人が変わったようになり、脳の働きが弱ってきたことに対する苛立ちなのかやたらと怒りっぽくなり、単に脳の働きのことだけでなくても俺は健康だと医者に行くことを拒んでだだをこね、幼稚園に通う自分の子供と同じような言い訳や言い繕いをするばかり。
なんとういうか・・・・無常観でいっぱいになりますね。そういうわけで、お母様のお若いころの話が最終回に来たのではないでしょうか?(2017/08/12)

認知症の母を介護する40代男性です。

私は、残された証拠品から探偵よろしく事実を組み立てていくくだりに、あるある、を感じました。過去の初任給のような牧歌的?な話でなく、今の日常、つまり誰かと待ち合わせの約束したとか、振込が必要な何かがないか、などそれなりに切実なテーマでの追究です。
短期記憶はひどいもんですが、失禁はそれほどでもなく、徘徊もないので、そうした探偵推測が日々の課題だったりします。

母本人とは事実を中心にしたコミュニケーションは、ほぼ適さなくなっていますが、その一方で、現物と聞き込みと適切な推測による事実の追究は、私の介護活動の柱の一つになっています。

単行本、先程とどきました。
今後も松浦さんの介護者の心の声が記された記事を心待ちにしております。お体にはお気をつけ下さいませ。(2017/08/09)

何かの偶然か必然でNBO会員登録し介護敗戦記に出会い毎週書かさず読ませてもらいました
私も約一年半前から別居の父の様子がおかしく、認知症と診断され現在ホーム入所しました
連載を読み、うちだけではない、心の揺れも同感する所が多々あり大変励まされました
ありがとうございました
松浦さんに経緯を表し本も買わせていただきました
今後のご活躍をお祈りします
またお身体ご自愛下さい(2017/08/09)

台湾や韓国、中国の経済成長を見ているとバブル以降のくそまじめな日本はあほじゃないかと思う。このころの日本は賢かったのかもしれません。何もしなくて会社が儲かり給料が出たら最高。過労死よりお茶くみがいいに決まってませんか。(2017/08/08)

亡き母が大して変わらない時期に同じ企業におりました(地方・高卒・縁故)。普通に事務をやっていたようです。会社や上司等の不満を聞いたことはありませんでした。結婚退職後も、同期と親交が続いていました。地方の営業所では少人数で頑張っていたということでしょうか(あの時代に私大をお出になられた方と、家庭の事情で高卒で働く以外選択肢がなかった母のような人と対比するのもどうかと思いつつ)。女性社員のお茶くみや掃除は、私が新社会人だったときはまだありました。転職してお茶くみ等がなくなると、無駄な時間を使っていたんだなあとつくづく思ったものです。母は姑の介護をしていたことがありますので、この介護記録はぜひ母にも読んでほしかったです。母の時代と違って、今はいろいろな制度や施設がありますが、介護そのものの大変さは変わりませんし、制度・施設の使い方も難しいものです。しみじみ拝読いたしました。(2017/08/08)

大変興味深く読んだものの、これで連載が終了するのだとすると、切りの悪い、どうにも奇妙な最終回に思えました。
題名は「最終回」よりは「おまけ」の方がスッキリしたんじゃないかなと感じました。(2017/08/08)

私はこの方のお母様より少し年下で、昭和34年に某大学英文科を卒業して1年母校に勤めたのち、大阪の某テレビ局に入社しました。当時民放が始まったばかりでテレビは時代の花形でした。私は卒業した年にすぐにも就職したくてあちこち受験したのですがアナウンサーのみの募集で、地方出身の私はカメラテストでことごとく落とされました。

しかたなく1年間、母校で事務の手伝いをし、かわいそうに思ったある教授が知人を通じて某テレビ局に紹介してくださったのです。その知人という方がテレビ局では一番上の人だったみたいで、一応入社試験は受けたものの、すいすいと通ってしまいました。まだ女子大卒が珍しかったのでしょう。この方のお母様同様、入社したもののこれという決まった仕事も無く、お茶くみはしませんでしたが、ちょっと余分の人間、という感じでした。

英文科を出たのだから、ということで、たまに英文を訳すとか、雑誌に海外情報を書いている人の手伝いをするとか、多少は仕事もさせてもらいました。テレビの仕事は夜が多くて、男性は遅くまで働いているのですが、女性は5時だったか5時半だったかになると、もう帰りなさい、ということで、とても優遇されていたみたいです。そういう規則だったようです。

お給料も確か1万5千円程度はあったような記憶があります。もしかすると私の場合、〇〇電機さんよりよい待遇だったかもしれませんね。私はまだ元気なのでこういう女子もいた、ということをお知らせしておきます。(2017/08/08)

昭和50年代に、同系列の商社でお茶汲みしていた私の卒論は「アメリカの戦間期経済」でした。世代は違いますが、お母様と似たり寄ったりの人生を送ってきたと思いますが、一つ違うのは、私は「老いてボケる」ことを自覚しています。お母様や私の両親や、今の80代以上の世代が中年だった頃、運動不足、生活習慣病、認知症の関連は一般に知られていなかったと思います。稀な難病と違い、認知症は身近に豊富な症例を目にすることができています。団塊の世代以降、私たちを含めた多くの高齢者とその予備軍は、親たちの世代を反面教師に、とにかくボケないように、努力しています。だから認知症は減るんじゃないかと思うんですが。甘いかな。自分も。(2017/08/08)

この内容自体は既に単行本で読んだ内容なので、ニヤニヤしながら読みましたが、その時思ったのが、昭和30年代に日本女子大英文科を卒業し、三菱電機に就職したような「英才」であっても、アルツハイマーに罹ると自分が食べたい料理の名前も作り方も忘れてしまうのだなぁ、でした。
完治する方法が無い(既に製薬会社も諦めてる)事と合せて、とても恐ろしい病気です。。。(2017/08/08)

連載を毎回拝読しております。「母さん、ごめん」も購入しました。
私も今親族の介護をしており、共感する部分が多々ありました。私の母も昭和9年生まれ(ちなみに介護をしているのは父方の親族です)で私は松浦さんと同年代の54歳です。結婚もせずに親と二人同居で働き続けているというのも同じです。ちなみに私は企業の管理職ですが・・・仕事と介護の両立は非常にきつく、私も過労とストレスで一度体調を崩ししばらく医者通いをしておりました。相手のことを思い、きちんと世話をしてあげようと思えど思うようにならず、かと言って最初は外部のサポートに任せることも気がひける、という心の葛藤との戦いです。(今も真っ最中です)そんな私の心の重荷をこの連載が一緒に背負ってくれたような気がします。
少しでも沢山の方に読んでいただきたい。少なからず誰もがいずれ経験することですから。(2017/08/08)

お母様の介護、お疲れ様です。最後まで興味深く読ませていただきました。
最終回の「ケチ菱」の話にはクスッとさせられました。「介護される老人」ではなく、歯に衣着せぬまっすぐな女性を感じます。介護の苦労のあとには、こういう思い出だけが残っていくのかと思いました。(2017/08/08)

日本の企業のガバナンスは(恐らく先進国の企業のガバナンスは)お母様が在籍された時代から徐々に厳しくなってきているということがよくわかります。その20年後くらいにサラリーマンになった私も、先輩から現ナマを持って帝国ホテルの某大統領のところに行ったとか、月末になるとバーのママさんが請求書を持って現れるとか言った話をよく聞かされました。今でも当時サラリーマンになった人から「恐らく接待で会社の金を2~3000万くらいは使っている」という話を聞きます。1980年代後半位から、つまりバブル終焉ととともに会社の金で仲間内で飲食をすることはなくなっていったと思います。逆に管理が厳しくなりすぎて企業に自由さというか余裕がなくなってきているのが現在の日本の状況ではないかと思います。(2017/08/08)

西脇順三郎さんて、フェラーリ・レッドの表紙がそそる『Ambarvalia』の詩人で、サンボリズムならぬ散歩リズムの創始者ですね。お散歩はシュールだ!三島由紀夫は『不道徳教育講座』が好きだな〜。角川文庫から出てるみたいなので、中高生の夏休みの読書感想文に是非ともどうぞ♪
会社の金で飲み食いとか、政治家の金権政治とかいうのは、ある意味日本の再配分システムだったわけで、あれ出来なくなっちゃったから、国内消費が冷え込み、地方が衰退して、少子高齢化が進行して、さらに政治家も給料目当ての小粒のサラリーマン政治家が多くなってしまったという側面があると思うんですよ。
いずれにせよ、いい時代でした。スースースダララッタスラスラスイスイスイ♪(2017/08/08)

これだけで読めば、昭和のOLはなしとして面白いのでしょう。
しかし、介護生活敗戦記を読んだ後では、かつては20代だった娘さんさんでもやがて年を取って介護を受けるようになることもあるんだなぁとおもいました。
当たり前のことではあるのだけれど、誰でもいつかは年を取るという事ですね。
だからこそ、介護も年金も若い時に考えて対策をしておかないと間に合わないっというとこをかんじます。
そうはいってもそれが後回しになってしまうのが現実ではあるんですけど。

50代半ばの私も先週は人間ドックで高血圧、やお酒の飲みすぎによる脂肪肝などをしてきされました。でも、循環器系、消化器系の健康ばかり気を付けてもアルツハイマー病のようになってしまうのでは、何のための健康管理なのか疑問に思ってしまいました。
表現が悪いのですが、自分の息子たちに介護の面倒をかけるより高血圧、脳溢血や肝硬変で逝ってしまった方が幸せなんじゃないかなぁと思いました。極論であることは承知してますけれども。(2017/08/08)

たとえ、ボケてしまったとしても、その人にはその人の素敵な人生があったのだ、という当たり前の事を忘れてはいけませんね。出来れば自分の親にも、楽しかった事は忘れずに旅立ちまでの時間を過ごして頂きたいと思います。(2017/08/08)

懐かしく面白く拝見しました。
私は三菱電機35年入社ですが、良くも悪くものんびりした会社だった。入社1年間は研修期間で特別な仕事はなく他部門を含めて転々と仕事場を変えて見聞を広めるのが仕事だった。工場の屋上で仲間としゃべったり、昼寝などしていられたほど暇だったものだ。
当時初任給は14800円だったような気がするが・・・。係長が5万円程度と聞いたことがある。(2017/08/08)

最終回まですべて読破いたしました。
うちの両親も80を超えています。幸い今のところ地方は出ていないものの、徐々に足腰が悪くなるなど手がかかり始めています。そういう意味で大きな共感とともに、大変に参考になるお話でした。本も出たということですので、ぜひ買って、職場や自治会にも紹介しようと思います。
「介護する側」の立場だけではなく、じきに「介護されるかもしれない側」になることも踏まえたうえで再読してみようと考えています。
最後の挿話は面白かったです。私も昭和59年に「ケチビシ」系に入社してますので(笑)。ただ、これは三菱に限らず、きっと多かれ少なかれその当時の大会社にはあった風景とは思いますが....(2017/08/08)

内容も文章も軽妙で面白かったです。(2017/08/08)

もし現在の制度ならと考えますと…

地方税の特別徴収(給与天引き)は、前年所得に基づく年税を当年6月~翌年5月に徴収というサイクルになっていますので、「新入社員の年」の5月の給与明細ではなく、「新入社員の年の翌年」の5月の給与明細である可能性が高いかと思います。
(新入社員の年の前年に所得がなければ、新入社員の年には翌年5月まで引き続き徴収がありません。入社月から翌年3月までは、「4月5月は徴収せず」でなく「本年度は徴収せず」などと捺印があったのではないでしょうか。)

60年前の制度が現在と同じかどうかはわかりませんが、ご参考まで。(2017/08/08)

三菱だけではなく、当時はどこもこんなもんだっただろう。
私の母も昭和30年代前半まで日本電気で働いていたが、仕事といっても、お茶汲みや出社前の机の雑巾掛け、書類を玉川事業所から本社に届けて午後は直帰とか、そんなもんだったとのこと。派閥争いもあり、サラリーマンの出世は派閥による時の運もあったようだ。(2017/08/08)

今回が奮闘記の最終回ということでしょうか。
お母様が今もご存命かどうか分かりませんが、介護とはありのままの親の姿を受け止めるということ、自然と親子の距離は縮まり親の生き様に関心が向くように思います。
介護の最後の難関は親を看取るといういうことです。施設入居は身体のコンディションが落ちてきたことの証でもあり、その後はいろいろな疾病に悩まされていくことになります。そして、最後にどこまで延命治療を行うかの選択、私の母は老衰に近い死でしたがチューブに繋がれた姿を巡って心の葛藤と医師との闘いがありました。
その母も亡くなり主がいなくなった実家を整理したとき、結局は晩年の元気だった写真を除いて全ての遺品を処分することにしました。親の思い出はモノに宿るのではない、自分の心の中にずっと棲みつくものだと実感しています。今回のお母様の経験談も、筆者の心にしっかりと根付いている思い出なのでしょう。(2017/08/08)

親ではありませんが、脳出血で左半身麻痺になった独身の弟を引き取って近所の施設に入れたこともあり、自分の身にに引き寄せて読ませていただきました。松浦さん、お疲れ様でした。ついでですが、三菱電機の社員(現在は子会社)です。爆笑です。変わったところと変わらないところがあるのは社風でしょうか?少しはマシな会社になっているとは思いますが。(2017/08/08)

昭和2年生まれの亡母は、女学校を卒業後、丸の内に有る国策系の銀行に入行し、経理事務員として働いて居たそうです、算盤での計算要員でした、怖い先輩に鍛えられながらも大変に可愛がられ、戦中は企業疎開で福島に疎開し食べ物が乏しい中「果物が美味しかった、果物ばかり食べていた」と牧歌的な思い出を良く語っていました、また行内でのクラブ活動も盛んだった様で茶道や謳いなど活発に活動していた様で、後年その茶道で稼ぐようになったりもしていました。
亡母は、松浦さんのご母堂とは10年くらいの差がありますが、同じ丸の内の企業でも随分な差があるもんだなと感じた次第です。ご母堂の勤務した実態は、どちらかというと私が若い頃(昭和から平成に移る頃)勤務した広告代理店の社内の雰囲気、女性社員の扱い、などに近いものを感じます。(2017/08/08)

私も元〇菱電機社員で、家内も元社員です。笑うしかありません、女性社員から見ればその通りです。しかし、どこかに良い面もあるはずです。X芝、△立、P等が経営問題を多発する中、相対的には何とかやってます。因みに私の家内は同期で唯一コネ無し入社でした。時代は変わるのです。 (2017/08/08)

介護生活敗戦記 最終回 の記事で気になる箇所がありました。

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 ここで気になるのは、明細の地方税の欄に「4月5月は徴収せず」と捺印してあることだ。見つかった状況と合わせると、これはひょっとして新入社員の年の5月の給与明細ではなかろうか。すると「7800円ぽっちしかもらえなかった」という母の証言は勘違いということになる。
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※当時は地方税(住民税)は、6月から3月までの10か月で徴収されていたのです。
新採用であろうとベテランであろうと同じです。

住民税は国税(所得税)の算出で確定する所得をもとに算出するため、所得税関係の資料が国から得られる4月以降に市町村ごとに計算し、課税手続き期間を考慮して6月から徴収となっていたのです。
その後、電子計算機による計算の迅速化もあり、賦課の均等化の要望もあり、徴収期間が6月から翌年5月の12ヵ月となったのです。

この結果、課税が次年度にまたがる徴収方法が生まれたのです。
手続きがコンピュータ処理になって可能となったのです。
 なお、この会計年度をまたぐ徴収方法はその後 健康保険、介護保険等の徴収手続きに使われています。

当時、地方公共団体で給与係をしていた私の体験です。(2017/08/08)

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