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チャンスは向こうからやってくる

望んだわけではないのに、ホテル経営者に

2016年7月15日(金)

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 この連載では、40年にわたってインドビジネスにかかわり現在はインドに在住してビジネスを続けている元商社マンである、私、中島敬二のインド体験の一端を紹介しています。

 前回は、開業した日本食レストランで、酒を提供する許可を得るまでの混乱や困惑をご紹介しました。今回はさらに、望んだわけでもないのに、ホテルまで経営することになってしまったいきさつについてお話しします。

日本食レストランに続いて、経営を担うことになったマネサールのホテル

ホテルオーナーからの依頼

 レストランの経営を始めたのに続き、私は2015年には同じマネサールでホテルの経営者となりました。108室のホテルです。自ら望んで経営を始めたわけではありません。なぜ私がホテルを経営することになったのかをまず説明しましょう。

 私が経営するマネサールの日本食レストランと同じ敷地内にはホテルが建てられていて、もうすぐ開業するのだろうかと思っていました。ところが、このホテルのオーナーが、私に「あなたに経営してほしい」と依頼してきたのです。

 私はホテル経営にはまったく関心がありませんでしたし、工場地帯のマネサールでホテルを経営したとしてもお客は少なく、採算が合わないと思ったので即座にお断りしました。しかし、インド人は簡単には諦めません。いろいろ条件を変えて頼み込んでくるのです。それでも私は断りました。

 しかし最初の依頼から1年半ほども経ったある日、ホテルのオーナーから、「中島さん。あなたを待っている間に4社から経営をしたいと要請がありましたが、中島さんとの約束があるのですべてお断りしました」と言うのです。私は「あなたと約束などしていない」と言おうと思ったのですが、彼の話を聞いているうちに、その気になっている自分に気づきました。

義を見てせざるは勇なきなり

 彼の期待に感激したのが第一の理由ですが、マネサールの環境が少しずつ変わってきたことも感じており、そのことも影響しました。1年半前はまったくなかったオフィス・ビルが建ち始めました。日本人も数は少ないですがマネサールに住み始めました。さらに現在デリー空港からグルガオンを経由してマネサールに到着するには1時間半かかりますが、2016年には新たな高速道路が開通し、空港からマネサールまでの移動時間がわずか25分になるとの情報を得ていました。だから、ひょっとしたら経営は成り立つかもしれない、という思いが出てきたのです。

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「チャンスは向こうからやってくる」の著者

中島 敬二

中島 敬二(なかじま・けいじ)

Nakajima Consultancy Services社長

1944年生まれ。インド在住。慶應義塾大学を卒業後、住友商事に入社。長年インドビジネスに関わり、定年後、インドで起業。挫折も味わうが、現在は日本食レストラン、ホテルなどを経営する。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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