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もし「自衛権」を国民投票にかけたらどうなるか?

集団的自衛権のカギは憲法9条ではなく13条

2017年7月19日(水)

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 安倍晋三首相が、憲法9条に「自衛隊の存在を明記する条文を加える改正を目指す」との意向を示したのを受けて、改憲論議がにわかにあわただしくなってきた。果たして、どのように改憲すべきなのか。議論は百家争鳴の様相を呈す。「集団的自衛権の限定行使容認は違憲」と強く主張する憲法学者の木村草太・首都大学東京教授に聞いた。(聞き手 森 永輔)

木村草太(きむら・そうた)
首都大学東京教授。1980年生まれ。東京大学法学部卒業。専攻は憲法学。主な著書に『集団的自衛権はなぜ違憲なのか』『憲法の新手』『憲法という希望』など(撮影:菊池くらげ、以下同)

木村さんは現行の憲法9条を改正すべきと考えていますか。

木村:それは国民が考えることです。私は憲法学者なので、改憲するならばその意味を国民に伝えることが仕事だと考えています。

「改憲の意味を国民に伝える」とはどういうことですか。

木村:改憲案の文言を精査し、それが意味するところをきちんと分析し、国民に伝えることです。文言によっては、国民が期待することと、改憲の内容が違ったものになりかねません。そうしたことが起こらないようにするのが憲法学者の役割です。

現行の憲法9条はいかようにも解釈できます。現行憲法の草案を国会が審議していた1946年当時、共産党は、憲法9条は「自衛権を放棄して、民族の独立を危うくする」と解釈して批判しました。その一方で、安倍政権は集団的自衛権の限定行使まで可能としている。このように規範力の弱い条文はよくないのでは? この意味で改める必要はありませんか。

木村:そうでしょうか? 政府による9条解釈は「日本への武力攻撃への着手があった場合に、自衛のための必要最小限度の武力行使は許される」という点で一貫しています。

吉田茂首相(当時、以下同)が1946年の議会で「自衛権の発動としての戦争も、又交戦権も抛棄したものであります」と発言し、個別的自衛権の行使すら否定していたのでは。

木村:よく誤解されるのですが、吉田首相が放棄するとしたのは「自衛を名目にした戦争」です。目的は自衛かもしれないが、侵略を受けていないにもかかわらず宣戦布告するもの。

 例えば、森さんが電車に一人で乗っていたとします。そこに人が乗ってきた。「なぐられるかもしれないから、事前に殴り殺そう」と手を出す。これが、吉田首相が放棄した自衛戦争です。現在、国際法もこれを違法としています。

 一方、相手がなぐってきたので、やむを得ず自衛した。これが自衛権の行使です。日本政府は、この自衛権の行使については許されないわけではないとの立場を一貫して取っています。

 日本政府が、専守防衛の立場を改め、限定的とはいえ集団的自衛権の行使を容認する立場をとったのは、2015年の安保法制(注:安全保障法制関連2法が2015年9月19日に成立)での政府答弁が初めてのことです。

コメント39件コメント/レビュー

木村さんは若くして教授職にあり、記事を読んでも、大変、頭が良いなあと思いました。読んでいて、昔、数学をしていた頃、定義や公理の解釈、定理の文章作成の際の苦労などを思い出しました。驚いたのは、解釈の一意性が必ずしも必要ではなく、故意に多義解釈できるような文言を用いて規定しておくことで、後の自由度を確保するというような行為をしていたことです。数学では有り得ない話でしたが、法律の世界ではそんなテクニックもあるのですね。憲法の文章も、一つ一つ、かみ締めて読まないと本当の理解はできず、忍耐が必要なのだということを感じたのですが、そのような忍耐が必要な文章を読む、という行為を一般の人がするとも、我慢できるとも思えません。その意味で、忍耐強い専門家はやはり必要です。荒筋は素人でも考えられるので、そこまでは一般人が参加して(コメントの文章は全てこの類)、正確さや無矛盾さ、前言の高度なテクニックが求められる法律文章の作成は、専門家に任せるべきだと思いました。(2017/07/25 11:06)

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「もし「自衛権」を国民投票にかけたらどうなるか?」の著者

森 永輔

森 永輔(もり・えいすけ)

日経ビジネス副編集長

早稲田大学を卒業し、日経BP社に入社。コンピュータ雑誌で記者を務める。2008年から米国に留学し安全保障を学ぶ。国際政策の修士。帰国後、日経ビジネス副編集長。外交と安全保障の分野をカバー。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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記事のレビュー・コメント

いただいたコメント

木村さんは若くして教授職にあり、記事を読んでも、大変、頭が良いなあと思いました。読んでいて、昔、数学をしていた頃、定義や公理の解釈、定理の文章作成の際の苦労などを思い出しました。驚いたのは、解釈の一意性が必ずしも必要ではなく、故意に多義解釈できるような文言を用いて規定しておくことで、後の自由度を確保するというような行為をしていたことです。数学では有り得ない話でしたが、法律の世界ではそんなテクニックもあるのですね。憲法の文章も、一つ一つ、かみ締めて読まないと本当の理解はできず、忍耐が必要なのだということを感じたのですが、そのような忍耐が必要な文章を読む、という行為を一般の人がするとも、我慢できるとも思えません。その意味で、忍耐強い専門家はやはり必要です。荒筋は素人でも考えられるので、そこまでは一般人が参加して(コメントの文章は全てこの類)、正確さや無矛盾さ、前言の高度なテクニックが求められる法律文章の作成は、専門家に任せるべきだと思いました。(2017/07/25 11:06)

憲法第13条は「国民個人の幸福追求権」の規定であり、それを「国家権力の自衛権」の根拠として位置付けるのは飛躍があって無理があります。
もし13条に「国家権力の自衛権」の根拠として整合性を持たせようとするならば、間で「パターナリズム」の説明をすべきところが抜けています。
ただ「国民個人の幸福追求権」の行使にパターナリズム(国家権力はたとえ権利主体である本人の意思に反していても「あなた自身のためなんだから」と理由づけすることで本人による権利行使を阻んだり逆に代位行使して構わない)を認めてしまうと、もうそこに国民個人の自由意思の余地はなく、実は国民を隠れ蓑にしたすべて「国家権力の権利」だったということになってしまいます(そこまでしてやっと「自衛権」につながる)。そしてその解釈は憲法第13条の趣旨に反するものだと思います。(2017/07/24 17:09)

憲法は、国民が読んで素直にストン、と胸に落ちる者でなければならない。
憲法学者の解説が無ければ分からないようなのは、憲法として失格である。それに、憲法学者は、動態的な国際政治を全く考慮しない。
そこで、ワシが考えた、安倍総裁の要請に沿った改正案。
憲法第9条に、第3項として、次の文言を付け加える。
⓷ただし、国及び国民の生命、財産を守るため、国防軍を置き、自衛隊と称す。
1項、2項は侵略戦争の放棄、第3項で自衛を明らかにする、と言う事。
ただ、憲法の前文「諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと……」の文言とどう整合性を取るか、難しい。
この屁理屈は、憲法学者に考えてもらったらどうか?(2017/07/24 03:43)

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三品 和広 神戸大学教授