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“名ばかり専務”を経営者に変えた言葉

最終回:売り上げ至上をやめたら連続増収増益

2016年6月24日(金)

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 ドラッカー教授の著作に学んで、成果をあげた日本の中小企業を紹介する本連載。ドラッカー教授の言葉を解説した後、その言葉の理解を深めるのに役立つ実例を紹介します。

 今回は、肩書きこそ役員だったものの“名ばかり専務”だった、老舗企業の社長の妻が、本物の経営者に脱皮したケースです。

 ドラッカー教授のある言葉をきっかけに、生きることの意味を問い直しました。

 本連載の最後を飾る、この教授の至言は、ビジネスパーソンにかぎらず、すべての人にとって示唆深いものだと、私は感じます。読者のみなさまは、どう思われるでしょうか。

【ドラッカー教授の言葉】

 私が一三歳のとき、宗教の先生が「何によって憶えられたいかね」と聞いた。誰も答えられなかった。すると、「答えられると思って聞いたわけではない。でも五〇になっても答えられなければ、人生を無駄に過ごしたことになるよ」といった。

『非営利組織の経営』(ダイヤモンド社)

【解説】

 ドラッカー教授が生涯、自らに問い続けたのが、この「何によって憶えられたいか」です。なぜでしょうか。昨日と異なる自分であり続けるためです。
 誰にどんな存在として憶えられたいかを問うことは、未来に思いを馳せることです。未来の人々が、今の自分の貢献に感謝し、記憶に残す。そんな未来を生み出そうと考えれば、おのずと後世のために今、自分がなすべきことは何かを問うことになります。
 その結果、姿勢が変わり、行動が変わる。そして、覚悟が決まります。

【実例】

 初めは主婦業の延長のようだった。

 食品メーカー、真田(京都府宇治市)の真田千奈美専務は1982年に、当時取締役だった真田佳武社長と結婚。会社の経理や総務を手伝うようになった。「家計簿を付けている感覚だった」という。

老舗の嫁として夫を支えるも……

 真田は「山城屋」ブランドで乾物の製造、販売を手掛ける。

 明治初期の1904年、山城屋の商号で煮干問屋として創業。第2次世界大戦後、スーパー向けの食品卸などに業容を広げ、株式会社に改組した。そのけん引役だった中興の祖が、病弱だった初代社長の妻で千奈美専務の義母にあたる、前会長の悦子氏だ。

 メーカーに業態転換したのは、81年のこと。取締役だったころの佳武社長が主導した。「大手スーパーの購買力が高まるなか、売上高30億円ほどだった、うちのような中小卸は生き残れない」とにらんだ。

 メーカーとしては売上高5億円ほどからの再スタートだった。しかし、強みのあった乾物分野の知識を生かし、当時まだ珍しかった「金ごま」を「京いりごま」の名前で商品化。大ヒットさせるなど、高付加価値路線で軌道に乗った。

 こうして2005年12月期には、売上高36億円に成長した。

 しかし、その間、千奈美専務は、肩書こそ役員だったが子育てにも追われ、経営陣としての意識は薄かった。

真田佳武社長(右)と千奈美専務

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「“名ばかり専務”を経営者に変えた言葉」の著者

佐藤 等

佐藤 等(さとう・ひとし)

佐藤等公認会計士事務所所長

1961年生まれ。90年公認会計士試験合格後に開業し、現在に至る。2003年から、中小企業経営者などを集めたドラッカーの読書会を開始。13年間で700回以上を開催する。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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