• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

若槻内閣は総辞職避けるべく、事変の拡大を承認

2015年9月18日(金)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

前回はこちら

満州事変が起きた時に陸相を務めていた南次郎(写真=近現代PL/アフロ)

 満州事変が発生した当初、国際的平和協調の外交路線を取る若槻礼次郎・民政党内閣は不拡大方針を決定した。そして、事態を拡大しないよう陸軍首脳(南次郎・陸相、金谷範三・参謀総長)に要請した。国際的平和協調とは、具体的には、当時の東アジアの国際秩序(ワシントン体制)を尊重することだった。

 南・金谷ら宇垣派は、もともと内閣の意向を尊重する姿勢であり、その要請に従い関東軍に事態不拡大を指示した。ただ、宇垣派陸軍中央首脳部(局長・部長以上)も、日中間で地域紛争が起きれば、満蒙の既得権益を守るためには、ある程度の武力行使はやむをえないと考えていた。

朝鮮軍が天皇の許可なく満州に越境

 ところで、関東軍から来援要請を受けた林銑十郎・朝鮮軍司令官が、陸軍中央に、朝鮮軍を奉天方面に出動させるよう準備中との報告を行うと、参謀本部は、朝鮮軍に部隊の行動開始を見合わせるよう指示した。その上で、陸軍中央は、朝鮮軍部隊の満州への越境派兵について、閣議の了承をえようとした。

 一般に、海外派兵の決定には、陸相・参謀総長のみならず内閣の承認が必要とされており、そのうえで天皇の裁可と奉勅命令の下達を必須としていたからである。また閣議において、そのための経費支出が認められなければならなかった。当時、朝鮮半島は日本の領土だったが、奉天など南満州は中国領であり、南満州への出兵は国外派兵を意味した。

 一方、関東軍の石原莞爾・板垣征四郎らは全満州を軍事占領することを当初から企図していた。だが、張学良が指揮する東北辺防軍の正規軍が約27万人なのに対して関東軍の兵力は1万余りにすぎず、全満州を占領するためには兵力増援がどうしても必要だった。

コメント0

「ビジネスパーソンのための歴史講座「満州事変」」のバックナンバー

一覧

「若槻内閣は総辞職避けるべく、事変の拡大を承認」の著者

川田 稔

川田 稔(かわだ・みのる)

日本福祉大学教授

1947年生まれ。1978年名古屋大学大学院法学研究科修了。法学博士。名古屋大学大学院環境学研究科教授などを経て現職。名古屋大学名誉教授。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

コメント入力

コメント(0件)

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

「絶対これしかありません」というプランが出てきたら、通しません。

鈴木 純 帝人社長