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関東軍と陸軍中央との対立

若槻内閣総辞職で事変は再び拡大へ

2015年9月24日(木)

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 若槻礼次郎・民政党内閣や南次郎陸相、金谷範三参謀総長が、関東軍や永田鉄山ら一夕会系中堅幕僚層に引きずられたのはここまでだった。

 11月に入って、関東軍は北部満州(北満)の黒竜江省都チチハルへの進撃を企図した。だが、ソ連との衝突を危惧する軍中央首脳部は、これを阻止すべく、臨時参謀総長委任命令(臨参委命)を発動した。北満は旧ロシアの勢力圏で、なお中東鉄道などソ連の権益が存続していた。

 臨参委命とは、本来は天皇の統率下にある出先の軍司令官を、勅許によって参謀総長が直接指揮命令できる権限によるものである。それは、関東軍ら出先機関への統制力を強化するための処置だった。

 若槻内閣も、国際的な考慮から、関東軍の動きを止めるよう南陸相や金谷参謀総長に強く求めた。

若槻礼次郎。浜口雄幸首相が凶弾に倒れたのを受けて首相に就任した(写真:アフロ )

 南陸相・金谷参謀長は、この臨参委命によって関東軍のチチハル占領を阻止した。関東軍は、中国側の馬占山軍との戦闘経過のなかで一時チチハルに侵入するが、陸軍中央からの命令によってすぐに撤退を余儀なくされる。また陸軍中央は、同様に関東軍の北満ハルビンへの出兵要請も認めなかった。

 だが関東軍はチチハルの占領を断念した後、方向転換し、さらに張学良政権のある錦州に進撃しようとした。

 陸軍中央は、この関東軍の動きも臨参委命によって押しとどめた。錦州はイギリス権益の関与する北京・奉天間鉄道(京奉線)の沿線に位置した。関東軍の錦州侵攻についても、若槻内閣は、南陸相や金谷参謀総長に、その阻止を強く要請していた。

陸軍中央も北満・錦州進出は認めず

 実はこの時、これまでとは違ったレベルでの、陸軍中央首脳部と一夕会系中堅幕僚層の意見の相違が表面化する。

 陸軍中央の中で、南陸相や金谷参謀総長のみならず、杉山元陸軍次官や二宮治重参謀次長、小磯国昭軍務局長、建川美次作戦部長(すべて宇垣派)なども、対ソ・対英関係を考慮し、チチハル占領や錦州占領には反対だった。

 彼ら陸軍首脳部は、関東軍司令官以下の主要幕僚の更迭も辞さずとの強い姿勢を示した。陸軍中央首脳部の断固たる姿勢に、関東軍はやむなくチチハル占領、錦州攻撃を断念したのである。

 だが、永田ら一夕会系中央幕僚層は基本的に関東軍の動きを支持しており、当初から北満を含めた全満州の事実上の支配を考えていた。また、張学良政権を覆滅することは当然のことで、従って錦州攻撃も容認されるべきとの姿勢だった。

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「関東軍と陸軍中央との対立」の著者

川田 稔

川田 稔(かわだ・みのる)

日本福祉大学教授

1947年生まれ。1978年名古屋大学大学院法学研究科修了。法学博士。名古屋大学大学院環境学研究科教授などを経て現職。名古屋大学名誉教授。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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