本田直之の「賛否両論=オリジナリティ」

つぶれかかったからこそ生まれた、奇跡の熟成鮨(後編)

第3回「㐂邑」・木村康司氏

文:本田 直之、編集協力:上阪 徹、写真:大槻 純一 05.12.2017

食のプロをうならせた熟成鮨という世界を最初に生み出し、ミシュラン5年連続で2つ星を獲得している鮨店、東京・二子玉川の㐂邑。店主の木村康司さんがこの店を作ったのは2005年。しかし、普通の鮨店としてスタートした当時の㐂邑は、3年目に閑古鳥が鳴く店になってしまいます。

武器がないと、わざわざ来てもらえる店にはならない。その武器として選んだのが、こだわりの白身。そして閑古鳥が鳴く中、その白身を腐って捨てなければならなかった日々が、㐂邑の転機を生み出します。その傷みのメカニズムを自ら実験していったのです。そして、熟成の最大のポイントに気が付くことになります。

前編からの続き)

「傷んで匂いを出すのは、中に残っている血と水分だったんです。これを置いておくと傷みが始まって匂いを出すんです」

てんぷらの名店「美かさ」で修業をしたとき、てんぷらの仕込みでは、魚は水を使わなかった。一方で鮨は「水商売」。水をどうしても使います。しかし、この水にこそ問題があったことを突き止めるのです。

「そこで、血抜きの勉強をするようになりました。さらに塩を芯まで入れて傷まないようにしたり。でも、そうすると今度は塩抜きが必要になる」

そしてここで生きたのは、昔ながらの料理人のワザでした。

自分の目利きを信じていい魚を入れる

「カズノコを作るとき、塩で漬けたカズノコは塩水で戻すんです。後でこれは浸透圧の原理だったことを知るんですが、要するに塩は塩で抜けるということなんですね。そこに気がついて、熟成させる温度帯を変え、塩の濃度を変え、いろんな組み合わせでひたすら実験していたら、うまくいくポイントがわかったんです。魚が腐らず、ちょっと旨みが伸びていくような魚ができ出した」

メディア露出を拒否したこともあり、店は暇になってしまった。しかし、こういうときにこそ、店主の行動が問われます。人のせいにしたり、場所のせいにしたり、お客さんのせいにしたり、外に理由を求めてしまう人は少なくない。しかし、木村さんはそれを一切しなかった。自分に何ができるのか、それだけを考えた。そして、空いた時間を使って実験を続けていったのです。

「あまりに暇過ぎて、美かさの大将に相談しに行ったことがあったんです。そうしたら、じゃあもうつぶしたらいい。ただ、つぶすんであれば、今お前が気づいた、魚は寝かしてうまい、というのを究極までやれ、と言ってもらえて。その一言で、本当に吹っ切れたんです」

もし失敗したとしても、鮨職人は世界で引く手あまたになっている。最悪の場合は、どこかで雇ってもらえばいい。海外でもいい。そんなふうに開き直ったのです。だったら、思い切ったことをやってみよう、と。そして最初に、マグロをやめてしまいます。

「普通のやり方を完全にやめました。マグロは仲卸の推奨があるんですが、これを買わないと決めた。自分の目利きだけを信じて魚を仕入れて、㐂邑はこれだ、という店をやろうと。それから、ウニもコハダもアナゴもやめました。そんな店は、鮨屋じゃあり得ないですけどね(笑)」

僕はときどき早朝の築地市場に行きますが、木村さんをはじめ、すでにこの連載に登場した「鮨さいとう」の齋藤さんなど、トップの鮨屋の店主によく会います。トップの鮨屋は仲卸の人たちが魚を店まで送ってくれるから、行かなくてもいいのです。しかし、それでもトップの鮨屋の店主は今も築地に行く。

それは、自分の目で見たいからです。旬の時期とかそういうことではなく、自分の目を信じて、自分の目利きを信じていい魚を入れる。そういうことをしているのです。

「㐂邑は売れてないからマグロを買えないんだ、なんて言う人もいました。でも、それから2年ほど経ったとき、たまたま築地の仲買が、面白いことをやっているねと言ってくれて。どうせ暇だろうからと食べてきてくれた。それで、2週間寝かせた魚を食べてもらったら驚かれたんです。寝かせると、こんなことになるのか、と」

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