本田直之の「賛否両論=オリジナリティ」

鮨屋になったのも、岡山に店を出したのも、なりゆきでした。

第9回「すし処 ひさ田」・久田 和男氏(前編)

文:本田 直之 / 編集協力:上阪 徹 / 写真:宮田 昌彦(特記なき写真) 08.03.2017

初めてこの店に向かったとき、全国的に有名な鮨屋が本当にこんなところにあるのか、とだんだん不安になっていったのを覚えています。岡山駅からタクシーで約40分。岡山市のベッドタウン赤磐市の住宅街の真ん中の一軒家。「すし処 ひさ田」です。

驚くのは、ロケーションだけではありません。営業日が週に3日しかないのです。金曜の夜と、土曜と日曜の昼夜だけ。席はカウンター10席。

なのに、お任せで2万3800円(税込み)、お酒を入れて2万7000〜2万8000円くらい。東京都心の一流店並みの値段です。そして、いつも予約でいっぱいで、日本中から鮨ファンが続々と押し寄せています。

なぜでしょう。それは、ここでしか食べられない鮨があるから。ここでしか味わえない雰囲気があるから。

ひさ田の特色は、「地産地消」を徹底的に実践していることです。ネタは瀬戸内の魚にこだわり、シャリは岡山県産の酒米である雄町米をブレンド。店で揃えた日本酒も雄町米を使った酒だけを出すという徹底ぶりです。さらに、岡山では有名な吉田牧場のチーズをネタとして使ったユニークな鮨も出てきます。

僕が初めてひさ田に行ったのは、2年ほど前。鮨に詳しい友人に一緒に連れて行ってもらったのでした。彼が一緒でなければ、店に向かうタクシーの中で、もっと不安になっていたことでしょう。およそ、鮨の名店にたどりつけるようなルートではなかったでしたから。

けれども、のれんをくぐり、カウンターの前に座り、いざ料理と対面するとすぐに気づきました。わざわざ来る価値のある店だ、と。食事はもちろん、器も含めて、随所にこだわりがある。なるほどこれは日本中から鮨ファンが押し寄せるわけだ、と得心しました。

そして料理と同じくらいに魅力的だったのが、店主の久田和男さんでした。鮨を握っている姿は真剣そのものですが、ときどきお茶目な姿を垣間見せる。とにかく、店にとてもいい雰囲気が流れている。

いろいろ話をしているうちにすっかり意気投合してしまい、親しくなりました。今では、東京で飲んだり、岡山で飲んだり、福岡で飲んだりする仲です。

なぜ福岡かというと、実は久田さん、週3日岡山で仕事をして、週4日は福岡で過ごしている。驚かれるかもしれませんが、これが久田さんのスタイルなのです。

働き方も含め、なんともオリジナリティに溢れた久田さんの流儀はどのようにして生まれたのか、その詳細をお届けしましょう。

■連載9 すし処 ひさ田 店主 久田 和男氏

1994年開業。岡山市のベッドタウン赤磐市の住宅街に立地するにもかかわらず、全国から客が続々と訪れる鮨店として知られる。おまかせで鮨を出すスタイルで、「地産地消」を徹底的に実践している。

ひさ田は、岡山市の郊外にありますが、久田さんご自身も両親も東京出身。「岡山は地元でもなんでもないんです」というからびっくりです。1970年生まれ。高校を出たあと、料理人になるべく辻調理師専門学校に通いました。

「辻調では、イタリアンを専攻していました。ところが、両親が突然、『老後を過ごすのに、岡山に移住したい』と突如言い出し始めまして。で、お前もついてこい、と。ただ、そうなると、お店をやるのが東京じゃなくって岡山の田舎になるわけです。『久田、田舎じゃイタリアンでは食べていけないぞ。やるんだったら、鮨じゃないか』と周囲に言われて、言われるがままに、イタリアンから鮨に鞍替えしたんです(笑)」

久田さんの身内に鮨屋がいたこともあり、紹介されてそのまま大阪の鮨屋で修業に入ったそうです。そのあとわずか4年で独立し、岡山の今の場所で開店しました。

「4年もすると修業だけしているのも嫌だなあ……と感じ始めまして。岡山は両親が移り住んだだけで、縁もゆかりも何もない。もちろん土地勘もない。たまたま店を構えた場所が新興住宅地だったため、よそ者でも入りやすかったのは運がよかったですね」

とはいうものの、大きな問題が待ち構えていました。肝心要の魚の仕入れです。魚を仕入れる市場では、すぐに地元に溶けこめるわけではありませんでした。よそ者扱いされてしまうのです。

「普通、よその人が来ると、その土地のお店で1〜2年修業して、十分調査して、仲卸や市場の人と顔をつないでからオープンするんですよね。ところが、僕の場合、そういう助走期間なしに、いきなり開店してしまった。だから、ゼロから人のつながりを作っていかないといけない。市場では黄色い長靴を履いて目立つようにしました。毎朝4時半に行って、その場で現金払いして魚を買いました。そんな買い方をする人はあまりいません。すると目立つわけです。なんじゃ、あの現金払いの兄ちゃんは、という印象をつけるため。名前を売るため、です」

お店から市場に行くには、自動車を走らせて片道1時間半かかったそうです。

また、仕入れの経験も浅かったため、ずいぶん授業料を払わされました。

「悪いものをいっぱい買わされました。意地悪もされましたね。でも、やっぱり親切な人もたくさんいて、こっちのほうが小出しで買えるよ、とか、あっちの卸のほうがいいネタがあるよ、と助言してくれる人にも出会ったりするようになって。だから、自分も質問されたらすべて教えてあげていました。自分という人間を売らないとなあ、と思っていましたので」

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