ネオンとオンナ

「港区おじさん」は“純愛”を貫くために妻をマネジメントする

映画「シェイプ・オブ・ウォーター」的なダークファンタジーが見せた、愛の在り方、夫婦の在り方

文:鈴木 麻友美 04.18.2018

アラフォー紳士の「港区おじさん」と飲んだ。上品な会話も下品なトークも使いこなす彼の“KPI”は、子どもを含め家庭を守ること。妻との関係を再度燃えるものにするために、リーダーシップとマネジメントスキルを発揮する。ものさしが違う“種族”との交流は、もはや筆者にとっては異文化交流か映画「シェイプ・オブ・ウォーター」のようなダークファンタジーの様相である。だが、愛の在り方、夫婦の在り方、人のおもしろさも見えてくる。

久しぶりに「港区おじさん」と飲んだ。

アラフォー紳士の杉井(仮)さん。会社の先輩と大学の同級生である。外資系証券会社の偉い人で、年収はおそらく億の単位。過去にも何度か食事をご一緒したことがある。

見た目もお召し物もスマートで、上品な会話と下品なトークの振れ幅が縦横無尽。ヤンエグ(死語)にありがちな「僕テレビとか観ないんで」的なこともなく、芸能ネタからマーケティングから日本の未来までどんな球も打ち返す人だ。

元「港区女子」としては、たまに港区おじさんと接すると郷愁にかられエモい。若かりし頃、杉井さんと同じ会社の人と交際していた時期もあった。同じ会社だからといって人を郷愁のトリガーとしてまとめるのとか民度低すぎごめんなさいだが、当時の自分の民度は大阪の天保山くらい低かったかもしれない。

郷愁を感じる一方、そもそも外資系金融機関とか超未知でワクワクする。メディアと広告の仕事しか知らない私のようなガラパゴス人間からしたら、外資系金融機関は未知を超えてSFである。

未知なのに郷愁を感じるとか、映画「シェイプ・オブ・ウォーター」のようだ。好きすぎて劇場に2回観に行ってしまった。

ストーリー以前に演出や世界観が本当に素敵で、あの世界にドップリと浸かりきること(半魚人はイケてる!と自分で自分に洗脳すること)が快感だったのだけれど、ロマンチストではない友人や男性に感想を聞くと、「半魚人がムリだったから話に共感できなかった」とだいたい一刀両断される。たぶん、あの世界観をどう批評するかというよりも、世界観に自分を没入させる「セルフ洗脳」が好きか好きじゃないかが評価の分水嶺かもしれない。

※シェイプ・オブ・ウォーターは人間と人間以外の種族との愛を描いたファンタジー・ロマンス映画。

港区的な生き方が、ダークファンタジーに変わった頃

大人になり幾分か民度も上がった。未知すぎるものに不用意に憧れない、憧れないためには自分の軸とバックグラウンド(好きなものや教養とかね)を武装させる、その上で「やってみなはれ」で飛び込んでみる、というのが自分の中のやんわりした決めごとになった。それ以降、「港区男子」や港区おじさんは恋をする相手ではなく、異文化交流の対象物となった。

ちなみに以前このコラムで“遠洋漁業”の話を書いたら、「じゃあお前はなぜ港区女子ではなくなったんだ」と数名から問い合わせを受けたんで、そのあたりを書かせていただく。

高校時代の私はただの音楽オタクで、雑誌「ロッキング・オン」や「snoozer」を熟読し、ライブやクラブに繰り出しレビューを雑誌に寄稿するのがライフワークで勉強も恋もしてなかった。しかし、ある駅貼りポスターで心を打たれた。代ゼミの広告コピー「学歴なんて関係ない、って東大出てから言ってみたい」。自分が持てなかったものやコンプレックスを、相手に解決させるような恋愛と結婚はしたくなくて、特に才能も取り柄もないことも自覚していた私は突然猛烈に勉強し始めた。自分が持たぬものを持っていることを羨むと、それが対象物の最前に鎮座してしまい、視界が曇るのがこわいなと感じたから。大学に行く動機が極めて不純だし、結局、東大には入れなかったけれど。

そしてコンサバ全盛期の慶應で、大学で一番チャラいサークルと2番目にチャラいサークルに勧誘され、何も考えずに掛け持ちで入った。そして私は順調にキラキラしていきノリと勢いで港区女子化した。ちなみにどちらのサークルも最近、素行が悪すぎて解散させられたらしい。

港区女子から脱落したのは、港区男子や港区女子とのふれあいの中で、彼らとすり合わせられる共感コンテンツがないことに気づいたのと(先方は上質な衣食住が人生のKPI、こっちはただのレコード収集家である)、身の丈に合った生活をしない女性が量産型の下品になるのを目撃し恐怖を感じたから。

でも、ものさしがまったく違う世界に身を沈めるのは楽しかった。一番怖いのは、自分のものさしが絶対だと思ってしまうこと、そしてものさしを持たないこと。ものさしの扱い方自体で人は、なんでも全体論で語るスイーツになるか、はたまたこじらせるか、両極に振れる。

だから、港区おじさんという存在は、今のわたしにとっておとぎ話、いやダークファンタジーなのだ。異なる種族との恋を語ったシェイプ・オブ・ウォーターのように。

おとぎ話といえば学びがあるもの。グリム童話なんてその学びが辛辣すぎるから、歴史の中でマイルドな結末に変えられてきたのは有名な話だ。