ネオンとオンナ

「#日本中のプレ花嫁さんと繋がりたい」が見せた結婚のハードル

文:鈴木 麻友美 06.28.2017

インスタグラムの「#日本中のプレ花嫁さんと繋がりたい」というハッシュタグをご存じだろうか。結婚式を取り巻くギラギラが表現されている“魔界”を見ると、結婚および結婚式に対する心のハードルがことさら高くなっていることを認識させられる。しかし本当は結婚も結婚式もいいもの。SNSの魔界から、結婚と結婚式の良さを考える。

入籍した。

入籍前夜、友人たちと「よし、リアルハングオーバー!だバチェロレッテだウェーイ」とはしゃいだところ、顔からアスファルトにスライディングしてケガをした。

しまった顔から流血してたら、役所の戸籍課の前で婚姻届持って記念撮影して個人情報部分ぼかして「入籍しました」って、Facebookにアップするやつできないじゃん。そもそもあれのルーツって誰だろう。ミニスカート履いておきながら階段で過剰に尻を隠そうとする人的ニュアンスを感じてしまうのは私の被害妄想でしょうか。

とSNSで結婚報告する意義と方法についてぼんやり考えていたら、顔をすりむいた状態での両家の記念撮影写真を夫がFacebookにアップし(私はタグ付けしてもらい)、結果的にそれが直接報告できていない人へのあいさつとなった。

ハングオーバー!ごっこからの流血はただの自業自得だけれど、日常というのは小さな危険にあふれている。転んで流血したりタンスの角で足の指を打ったり、仕事でももらい事故に遭ったりハシゴ外されたりもする。ちなみに夫は私以上のすっとこどっこいで、去年海で首の骨を折った。元体育会系の人間だけれど、全く持ってスポーツじゃないゆるいシーンで折っていた、首を。

※本誌注:「ハングオーバー!」(2009年)、「バチェロレッテ あの子が結婚するなんて!」(2012年)はいずれも未婚男女の結婚をテーマにした米国のコメディ映画。

インスタ上の「プレ花嫁」はたくましい女性だらけ

このご時世、危険ってフィジカルなものだけじゃない。クソリプ、炎上、偽レイバンセール、ネットの世界もたくさん落とし穴がある。

結婚式の準備にとりかかった私は、先日うっかりSNSの危険地帯に足を踏み入れて迷子になりかけた。

インスタグラムの「#日本中のプレ花嫁さんと繋がりたい」というハッシュタグを踏んでしまったのだ。ご存じだろうか、あのギラギラをふわふわキラキラでコーティングした魔界を。

魔界では元々のアカウントと別に結婚式専用アカウント「プレ花嫁専用」をつくったりして「#ドレス迷子」が交流したりする。

彼女たちは1年ほど「プレ花嫁」活動(結婚式準備期間)ののち、結婚式が終わると、その後は「卒花嫁さん」になる。2chでいうところの鬼女(きじょ)とは大違いだ。そんでもって卒花嫁さん同士も結婚式を回顧しあって交流したりオフ会が催されたりするらしい。

このクラスターにおける結婚式は、自分に置きかえるとフジロックみたいなものかと思えば少し合点がいった。1年に1回だけなのに過去の写真を見てニヤニヤしたり来年の出演者を予測しあったり。ハッシュタグから素敵そうな人をたどったり。

インスタ映え至上主義の時代に結婚式って最高のコンテンツだろうし、一方で結婚式ってウン百万円を数時間で使ってしまうとんでもない儀式でもあるので、そのコンテンツで前後数年間も楽しみ続けられるとなればなんというか経済的合理性も高い……のかなあ。

いずれは「#生前葬」「#遺影前撮り」なんてハッシュタグが増えて、「#日本中のプレ故人さんと繋がりたい」って、遺影写真を盛ったりフィルターかけたりするんだろうか。それはそれで楽しそうだ。

と、自分を無理くり納得させようとしていたが、いや待てよ、子どももいないのに未来のママ友に恐怖を覚えるチキンな自分は、やっぱり結婚式をとりまくSNSがこわい。こわさゆえに、ムダに自分を顧みてしまい結婚式にまつわるすべての選択において悩みが増す。

「こわい」の源泉はなんだろう。お姫様願望の可視化か、それに引いている自分の器の小ささか(だって自分だって結局ドレスとか着て高砂に座るわけだしね)。ぐるぐるめぐって自我や承認欲求のゲシュタルト崩壊が起きる。

でも、もっと底知れぬモヤモヤが残る。

「つながる」起点の壮大さというかなんというか。アラサーmixi世代的には、趣味や好きなアーティストを軸にコミュニティでつながるのはもう慣れている。さらには今や、珍しい犬を飼っていたり、超レアな車に乗っていたってインスタのハッシュタグで世界中のオーナーとつながることもできる。

そんな中「#日本中のプレ花嫁さんと繋がりたい」で言うと、2016年の国内の婚姻数は62万組。すべての人が式をするわけではないけれど、数十万人を対象とした「繋がりたい」欲というのは壮大だ。アイデンティティや何らかのこだわり(とこじらせ)に基づく「繋がりたい」気持ちは理解していたけれど、わりと多くの人が経験する通過儀礼がその対象になるのだ。

1日限りの花嫁に全力で取り組む熱き同志というシチュエーションが生んだコミュニティ意識なのか、それとも7年土の中にいたセミの羽化のごとく承認欲求が一気に日本中をかけめぐってワールドワイドウェブしちゃっているのかはよくわからない。

「こわい」原因は己の中にもあって、中学生くらいの頃からぼんやりと抱いていた結婚式が人生のピークになるような人生にはしたくないというめんどくさい意識と、上昇志向が自分を仕事に向かわせている一面もあったりして、そういう感情に「はいはいわかったよしよし」と折り合いをつけることも必要だ。結婚式を前に未だにこじらせと承認欲求の抜き差しがとっちらかっているというわけ。

結婚式への認識に対する個人差のレンジってサハラ砂漠くらい広いし、結婚式はこじらせの踏み絵なんだなと思い、人生における自分のいろんな粗を再認識できた(まだ何も準備すらしていないのに何を言ってるんだとも思うが)。

そんなまるで生産性のないことを考えながらお花畑系のハッシュタグやアカウントを眺めていたら、こじれていない女性を単純にうらやましく思い、そのたくましさに対してやっぱりこわいなぁと感じたのだった。