ネオンとオンナ

いとしのフジロック、「現実逃避の場所」から「帰る場所」へ

文:鈴木 麻友美 07.21.2016

10代、20代のときのフジロックは、私にとって「現実逃避の場所」だった。しかし仕事や生活で様々な体験を積み、知的好奇心と承認欲求が満たされるにつれ、フジロックは「帰る場所」あるいは「人生の節目の儀式」へと変化していった。

「現実に戻りたくないなぁ」

10年前のフジロック(フジロックフェスティバル)。最終日、東の空が明るくなりはじめた頃ふとこぼした。

「ちゃうで、これも現実やで」

と返された。一瞬何かで殴られたような感覚になりつつ、でも2秒後には、とはいえ明日の会議で詰められるの本当憂鬱だなぁ、などとモゴモゴしたところに思考は着地していた。

新聞社の新入社員時代で、パーツパーツから仕事の全体像を見込む想像力もまだない時期。とにかく上司や先輩から課された仕事をこなしていた。

「ちゃうで」と返した友人は、毎年フジロックに出演しているひとまわり年上の京都のDJで、いつも悟ったような顔をしていた。彼のような生き方は自分とはまるで違うものと思っている節もあったし、苗場は彼にとって「仕事場」じゃないか、と。彼の言葉が初めてちゃんと腑(ふ)に落ちたのはそれから10年以上後のことだった。

酒のアテはフジロックの生演奏、そして森の緑

天神山の第1回フジロックの時、私は14歳だった。 16歳の時から毎年フジロックに行っているから、33歳の私は人生の半分以上が「フジロックのある夏」だ。

20歳を過ぎてからの私は、フジロックではたいしてライブを見ない。たぶんただ最高にうまい酒を飲みにいってるんだと思う。酒のアテが極上の生演奏で、そして森の緑。

お客さんたちの基本ポジティブしかない幸せそうな顔を見ていれば満足する。 ヘッドライナーの時間帯には民宿でワインを飲みながらテレビを観ていることもあるし、苗場のどまんなかにあるちゃんこ鍋の店「ちゃんこ谷川」で日本酒を飲んでいる日もある。 好きなアーティストがひとりも出なくても私は毎年フジロックに行く。

高校生の時のフジロックは、未知と憧れで自由の象徴みたいな世界だった。

そもそも日本に大型野外フェスなんてない時代で、横浜雙葉というキリスト教系の超厳しい学校に通っていたので親を説得するのにも数カ月はかかった。フラワーチルドレン世代の両親に「フジロックとは」をプレゼンし友人と行く許可をとろうとしたら、完全にウッドストックを重ねてしまったようで、「だめよ妊娠する!」と斜め上の心配をされてしまい結局初年度は母親が付き添うことになった。