ネオンとオンナ

フルマラソン、メンタルの“特効薬”であると考えるその理由

文/写真:鈴木 麻友美 10.13.2016

人はアラサーにもなれば、人はみな時として自らの存在価値について不安を抱き、他者に構ってほしくなるものだと知る。そんな傾向をうっすら自覚していた筆者がなぜ、人様にフルマラソンを勧めるのか。大変な思いをしつつもフルマラソンにエントリーし続けている筆者による、メンタルヘルス&運動論。

私は生傷が絶えず全身で60針以上縫っている。何もないところで滑って転んだり、ガラスに気づかず顔面激突したり、友人の子どもを高い高いして肩を脱臼したり、だいたいが凡ミス。それをのぞけばめったに風邪もひかないし身体もメンタルも丈夫なほうだと思っていた。そして日々、やれあの人はメンタルが弱いだ、ありゃ完全にスイーツ野郎だなどと人様をいじって生きてきた。

でも、人間それなりに年をとれば謙虚になっていくし過去を顧みる能力もついてくるもの。思いあたるふしはたくさんある、あれ?人様をいじっている場合じゃないんじゃないか、と。

いつからか自分を過信しなくなり、自分を含めた誰もがメンタルの調子を崩す時があると認めるようになってきた。

“メンヘラ”をどう克服するか

ネットを中心に、最近しばしば「メンヘラ」というスラングが使われている。大まかにはメンタル面で不調を抱えた人のことを指す。以前はネガティブな文脈で使われることが多かったようだが、最近はそのような意図を含めず、普通に気分の状態を指すのに使われることもある。「オレ、最近メンヘラでさ」という具合である。

ここではメンヘラという言葉を、「不要なまでに自己に対する不安感を大きくして、他人を巻き込む行動パターンを持った人」を描写するのに使いつつ、メンタルの不調をどう克服していけばいいかについて考えてみる。

その根源は往々にして「思い込み」だと思う。以前このコラムでも書いたけれど、自己評価の低さとそれゆえの被害妄想がメンヘラを生む。そして、プライドの高さとの狭間で生まれたギャップが「こじらせ」になっていく。

私の経験上、メンヘラは程度の差でいくつかのグループにわけられる。例えば、全世界を相手にした、いわば360度型自己評価の低い人。このような人を仮に“真性メンヘラ”と呼ぶ。また、ある特定の相手(恋愛対象だったり配偶者だったり)にだけ自己評価が低い人がいる。このような人を仮に“仮性メンヘラ”とする。

多くの真性メンヘラにはそれを癒やしてくれる異性、いわゆる「メンヘラホイホイ」がいる。私の周辺にも「俺メンヘラが好きなんだよね」とか「元カノがメンヘラでさ~」とうれしそうに言う友人が何人かいる。メンヘラホイホイは、自分に頼ってくるメンヘラがかわいくてしょうがないので、メンヘラはどんどん助長されていく。クマノミとイソギンチャク的蜜月関係である。

一方、寝不足的な体調不良だったり、恋人や配偶者とクリティカルにヤバい時だけメンヘラになってしまう仮性メンヘラは、大量にいる。

メンヘラは己の仕事の生産性に響くし、時にそばにいる人の可処分所得を減らす破壊力も持つ(束縛からの様々な機会逸失や、深夜に「会いたい」と迫られて無理やり呼び寄せられることによる安くない交通費支出などなど)。

そして、己の仮性メンヘラを自覚した人たちが、その仮性メンヘラを克服しようと、やおら腰をあげ始めるのがアラサーに差しかかった頃だったりする。

脱メンヘラを、恋人からの別れの通告で荒療治する現場主義の人もいれば、「ていねいな暮らし」によって実現しようとするクラスターや、ヨガやスピリチュアル方向で心身の無双状態になっていくクラスターもいる。男性の場合、自己啓発本を本棚にディスプレーするというのもある(「読む」のとはまた違うっぽい)。