「飲む」「食べる」のお仕事のひと

「ふわふわごはん」のレシピとともに、夫は生き続けるんです

料理研究家 クリコさん(後編)

聞き手・文:カンパネラ編集部 / 写真:竹井 俊晴 09.26.2017

働き盛りの家族が突然がんなどの病にかかる。家族は、そして当人はどう生きればいいのか。誰もが当事者になり得るこの課題に「希望のごはん」という答えを出した料理研究家のクリコさん。最高の介護食を開発する「ごはんのお仕事」について聞きました。

(中編はこちら

──アキオさんが亡くなってからしばらく料理ができなくなったとうかがいました。

クリコ:はい。でも、アキオが亡くなり、一人暮らしを始めて4カ月後、料理をする気力がまったくなくなってしまった私に、鬼怒川に住んでいる親友が、タケノコを送ってくれたんです。何でも庭に突然生えてきたそうです。彼女は更年期障害でお茶わんを持てないぐらい手が痛いはず。なのに、自ら地面を掘って、アク抜きまでしてくれて、タケノコを届けてくれた。何かもう涙が出てきてしまって。

いまでも夫婦2人のためにごはんをつくっています

クリコ:このタケノコは朝10時半に届きました。そのとき、何かがふっきれました。私、何をしていたんだろう。これ、料理しなくっちゃ。

たけのこご飯をつくり、タケノコを煮て若竹煮を作り、酢みそあえをつくって、あと何かもう1品つくって。それからアキオの仏壇にお供えしました。

そして思いました。これからは毎日アキオに食べてもらうつもりで自分の料理をつくろう。

──ということは、おうちごはんを食べるときは、アキオさんが横にいらっしゃるわけですよね。

クリコ:そうです。必ずつくったごはんをアキオの仏壇にお供えしています。

彼は食べることが大好きな人でした。なのにがんでごはんがうまく食べられなくなっちゃった。いまも健康な歯がある私がちゃんとごはんを食べないでどうするんだ。そんな申し訳ないこと、できない。この日から、一人でもごはんを積極的に楽しもう、と気持ちが切り替わりました。

外食もそうです。恥ずかしい話ですが、それまで一人でお店に入れなかったんですよ。外食はいつもアキオと一緒だったので。怖くてとても入れない。『孤独のグルメ』をしたことがなかった。

でも、広尾にあるアキオのお墓にお参りに行くとき、初めての一人ごはんをやってみることにしました。ランチの時間で、この店は一人でも入りやすいかもしれない、と下調べをして、どきどきしながらその割烹(かっぽう)料理店に入りました。おいしかった! しかもカウンターにとっても素敵な男性客が一人でいて、これが私のひいきの俳優さんだった。それも幸いして、外食の一人ごはんも怖くなくなりました。

──いま、「ごはんのお仕事」は?

クリコ:お話ししたように、アキオの介護をしているときは料理教室を完全にお休みしていました。ただ、そのときいろいろなことを考えました。私たちには子どもがいないし、面倒をみなければいけない年老いた親も近くにいない。だから、ある意味でアキオのためにすべて時間を注ぐことができた。でも、もし自分の夫や妻ががんになって、一方で子どもや親の面倒をみなければいけない立場だったらどうしていただろう。とてもあんなに凝った「希望のごはん」を開発することなんてできなかった。それに料理が得意な人ばかりじゃないはずで、そうなると、介護食を用意すること自体がとても大変な仕事になってしまう。

だったら、いま開発しているレシピがいずれいろいろな人の役に立たないだろうか。そう思ってホームページを立ち上げて、レシピと、私が知り得た情報を配信するようにしていました。

(ホームページ「クリコ流ひとりひとりの介護ごはん」はこちらです)

すると、このホームページを見てくださった福祉系の企業の方から連絡があり、「まさに求めているのはこんな料理です」とお声がけを頂き、現在はその企業の介護食サイトの監修をさせていただいています。

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