話せばわかるものなのか。

第9話 一番うまかった酒

文:ひきた よしあき / イラスト:もとき 理川 02.09.2017

「若い人たちがわからない」若手とのコミュニケーションに悩む大人世代は数多い。名スピーチライター・ひきたよしあきさんが贈る、コミュニケーションのヒントたち。今回は、思い出とともに振り返る、おいしいお酒の条件について。(カンパネラ編集部)

これまでの人生で一番うまかった酒は、
いつ、どこで、だれと飲んだものだろう。
つらつらと思い出の中を歩いていくと、
3年前の夏の景色が見えた。
初めて出版した『あなたは言葉でできている』(実業之日本社)の
本が刷り上がり、一冊受け取って帰った晩だ。
日本橋のオイスターバーに一人で入り、カウンター席に本を置いた。
高いシャンパンと生ガキを注文し、一人で乾杯したのである。
グラスの泡越しに、赤と白の表紙が見える。
それを飲み干しながら、かたちになった初めての本を読んだ。
本に鼻を近づけて紙やインクの匂いを楽しんだ。
パラパラとページをめくる時の小さな風を楽しんだ。
「自分の本を出したい」という子どものころからの夢が叶ったときに飲んだ酒。
味の中に達成感がしみていた。

そこからまた歩きだす。
香港とシンガポールで撮影したときのこと。
得意先の女性が、「今日が、子どもの誕生日なんです」と少し悲しい顔をしていた。
まだ3歳だという。
ママがいなくて寂しいだろな、と昼時に話していると、
香港のスタッフから「サプライズをしよう」と提案があった。
今日の夕ご飯のときに、みんなで小さなプレゼントを買おうというのだ。
撮影もこの日で終わりだった。
打ち上げの時間までに、2時間ほど余裕があった。
その時、日本、香港、シンガポールの撮影クルーがみんな街にくりだして、
3歳の女の子のプレゼントを買った。

シンガポール料理のレストランで宴がはじまる。
頃合いを見計らって、撮影監督が「ハッピーバースディ!」と言って立ち上がり、
みんなが得意先にプレゼントを渡した。
若いカメラマン助手がキャンディを渡し、照明スタッフが刺繍入りのハンカチを渡す。
30人前後のスタッフ全員が、心ばかりのプレゼントを用意してきたのだ。
感激したのは得意先の女性ばかりではない。
なんだかもーれつに、みんなの心がひとつにまとまったような気がして、
スタッフの目にも涙があった。
あのときに仲間と飲んだ酒には、人を思う気持ちが溶けていた。

プロヴァンスの日だまりで飲んだ酒、
オーストラリア大陸を何日も旅しながら飲んだ酒、
中国広州でぶるぶると震えて落ちる太陽を落として飲んだ酒、
恋の酒、愛の酒、友情の酒、絆の酒、ひとり酒、

一番うまい酒を探す旅は、とめどない。
いずれにせよ、「思いで」を肴に飲む酒はどれもこれもが
甘く、ほろ苦く、深く、濃い。

それではいつの酒が一番うまかったのか。
順位は決めがたい。
強いて言えば、喜劇王チャップリンのあの名言を借りるしかない。

「The Next One」
次の思いでとなる明日の酒が一番うまいと信じてやまない。

ひきた よしあき

1960年兵庫県西宮市生まれ。早稲田大学法学部卒業。博報堂クリエイティブプロデューサー、スピーチライター。学生時代から第8次「早稲田文学」学生編集委員、NHK「クイズ面白ゼミナール」のクイズ制作などで活躍。84年(株)博報堂入社。クリエイティブディレクターとして数々のCM作品を手がける。また、明治大学をはじめ多くの大学で講師を務める。15年、朝日小学生新聞でコラム「大勢の中のあなたへ」、コラム「机の前に貼る一行」を連載。著書に『あなたは言葉でできている』(実業之日本社)、『ゆっくり前へ ことばの玩具箱』(京都書房)がある。