カンパネラ・ロングインタビュー

【世良公則】「辞めないよ。音楽なんて卒業するもんじゃない」

ロック精神の原点を探る:世良公則 (ロックミュージシャン)の場合 第3回

文:十代目 萬屋五兵衛 / 写真:的野 弘路 04.07.2016

デビューから約40年。ミュージシャンとして、そして役者として最前線で活躍し続けている世良公則氏。しかし軸足はやはりロックにある。多彩な活動の根幹にあるスピリット(精神)に迫る(最終回)。

前回からの続き

(本文敬称略)

1977年の11月からその年末にかけて、世良公則&ツイストのメジャーデビュー曲「あんたのバラード」は、ラジオや有線放送を通して全国に広がっていった。

年明けの1月9日、人気歌番組「夜のヒットスタジオ」(フジテレビ系列)への出演が決まっていた。当時、世良たちがグランプリを獲得した世界歌謡祭の受賞曲は、その番組に出演して披露されることが恒例となっていた。

実は、その後のバンド人気に火をつける伝説的歌番組が、ほぼ同時期である1月19日からスタートした。毎週木曜日の夜9時から放送された音楽番組「ザ・ベストテン」(TBS系列)だ。全国のラジオ放送や有線放送のリクエスト、番組に投稿されたハガキを独自の集計方法により点数化させ、ヒット曲を紹介するというランキング番組の草分け的存在である。

「あんなのロックじゃねえ」と批判を受けた

当時は、様々な理由でかたくなにテレビ出演を拒否する歌手たちがいた時代だった。主にニューミュージックと言われたジャンルの歌手である。

しかし世良たちは、老若男女の幅広い層に影響を与えた音楽番組をはじめ、各メディアに積極的に出演した。アイドル雑誌の表紙にも露出したほどである。

それが故に、様々な批評が世良公則&ツイストに浴びせられた。

「テレビに出たら『あんなのロックじゃねえ』『日本語でやるなんてロックじゃねえ』『女の子にキャーと言われるのはロックじゃねえ』と散々言われましたよ(笑)。だけど、ビートルズやストーンズだって、みんなキャーキャー言われていましたよね。

ずっとロックミュージックが、日本のヒットチャートで取り上げられてこなかったのを変えたかった。

俺たちはそんな批判よりも、俺たちの前にプロになったミュージシャンが出てきてほしかったし、また『俺はツイストを見てギターを始めました』とか『世良公則の、ほうきをマイクスタンドにして振り回して、それがはじまりでバンドを組んでデビューしました』と言う新しい奴が出てきてほしかった。そうなったら、俺たちの勝ちだと思っていましたから。

少年たちが『プロのロックミュージシャンになりたい』と言う、それが当たり前の世の中にしたかったんです」

そのような理想を世間は受けとめたのだろう、世良たちが「あんたのバラード」以降1年の間にリリースした曲「宿無し」「銃爪 (ひきがね)」「性-サガ-」はいずれもヒット。世間に認められる人気バンドになっていった。

「意識していたのは、曲調なんです。『あんたのバラード』で成功すると、どこか同じような曲調を求められたりするもんです。ところが次に出た『宿無し』はロックンロール。次の『銃爪』は、いきなりリフで始まるハードロック。次の『性-サガ-』なんて「オゥォ!オゥォ!」と叫びで始まるイントロがない曲でしたから、何なんだ、こいつら?という見られ方はしていたと思います。

でも、俺の中では全部が13歳から聴いて育った洋楽なんです。それと俺は1955年生まれなので、ロックンロールと同い年という意識があって、俺が好きだったロックミュージックをとにかく伝えたかったんです」