インタビュー 情熱と挑戦の先に

プロレスラー 永田裕志──「自分の生き様をリングに投影する」

栄光と挫折の狭間で知った本当の強さ 後編

文:十代目 萬屋五兵衛 / 写真:山田 大輔  04.19.2017

前回からの続き)

永田には、周辺のメディアやプロレスファンから「永田は終わった」と言われた時期があった。それは、総合格闘技のリングに上がって敗北した時だった。永田はこれまでに総合格闘技のリングに2回ほど上がっている。

2000年前後、日本には空前の格闘技ブームが到来していた。当時、「PRIDE」「K-1」などの格闘技系イベントが数多く開催され、特に1年の締めくくりとなる大みそかの夜には、民放各局が競うように長時間にわたって生中継をしていた。そして、世界中の様々な格闘技系の猛者たちの中から、数多くのヒーローが誕生していた。もちろんプロレスラー出身者も参戦し、注目を浴びることも多かった。

永田は2001年の大みそかのイベントでは、キックボクシング出身者でK-1を主戦場に活躍していたミルコ・クロコップと対戦。2003年の大みそかにはPRIDEで活躍していた総合格闘家エメリヤーエンコ・ヒョードルと対戦した。

「あの頃、ミルコは総合格闘技でプロレス出身の藤田和之をドクターストップで倒すなど、既にその強さで、時の人になっていました。あの強い藤田を倒したミルコってどんな奴なのか?と、シンプルに興味がありました。また、プロレスラーとしてもっと大きくなるためには、新たな世界で自分の力を試さなければならない衝動にも駆りたてられていたんです」

プロレスで自己表現をしていくという気持ちが強かった。しかし、ミルコのハイキック一発、わずか21秒で試合は終わった。

「ヒョードル戦も様々な問題があり二転三転と大会の内容が変わり、紆余曲折して試合が正式に決定したのが大会の2日前です。いずれにしろプロレスが大好きで、プロレスを『最強』と信じてくれていたファンの夢を壊してしまったんです。『永田を抹消すべき』とメディアにも叩かれました(苦笑)」

容赦ない酷評が永田に向けられた。気持ちや技量をぶつけ合うことが魅力となっているプロレスと、一撃で潰し合う総合格闘技では、コンディション作りも戦い方も違う。プロレスと総合格闘技は似て非なるものだ。結果として、多くのプロレスファンの期待を裏切ることになってしまった。

「プロレスは最強というイメージを作ってきた新日本プロレスの歴史を考えると、避けるわけにはいかなかったんです。相当なバッシングだったと思います。実は、あえて自分に対する評価を見ないようにしていました。まともに受け入れていたら耐えられなかったでしょうね(笑)。

自分では意識しないようにしていましたが、やはりプロレスを代表して出場したわけですから、プロレスという看板を背負っていたわけです。ファンの人には、申し訳ないですけれど……」

それまでプロレスラーが異種格闘技に出場する場合は、自分たちの土俵に相手を乗せてきていたことの方が多かった。しかし当時は、既に競技として確立されていた総合格闘技の土俵に、プロレスラー側が飛び込んでいった。敵のまな板に載ってしまった格好だったのかもしれない。

しかし、そうせざるを得なかった時代でもあった。総合格闘技がブームになる中、様々な格闘技団体が誕生し「世界最強は誰か」を競っていたからだ。

「かなり無謀だったかもしれませんが、後悔はありません。当時は、『プロレス最強』という幻想から脱皮しないとプロレスは生き残れないと思っていました。ファンの人の夢を奪ってしまったかもしれない。でもいつかは目覚めなきゃいけない。それを、体現したのは僕だなと思っています(笑)。今だから、言えるんですけどね」

プロレスリングにおける「真のプロ」とは?

アメリカ遠征から帰国した約3年の月日の間に、永田はプロレスラーとして一回り大きくなった。永田は遠征帰国直後に「IWGPヘビー級王者」のベルトに挑戦したが長く手に入れられていなかった。だが2002年、安田忠夫を下しとうとう手にする。これ以降、高山善廣に敗れるまで10回防衛に成功。脂ののっていた時期と言える。

「理想的なプロレスラーの仕事とは、自分が生き延びるだけじゃなく、自分の価値を上げるとともに所属団体に利益をもたらし、プロレス全体を底上げすることだ。それが真のプロなんだと思っていました」

団体の壁を乗り越え、競技の壁に辛酸を舐め、永田はプロレスラーとして強い光を放ち始めていた。

「実力だけで勝負するというのも確かに一理ありますが、はっきりと言えることは、プロレスの世界は売れた者、生き残った者が勝ちなんです。常に自分より上位にいるレスラーに挑戦し、序列を乗り越えていかなければなりません。ファンやメディアなどの周囲の目や声に対しても、結果を出し突き破らなければ、その先には行けない。チャンピオンになったらなったで、新たな壁が必ずありますからね」

永田は、新日本プロレスのリングを主戦場にしながらも、他団体のリングにも積極的に上がった。既存の枠を超越し、様々なプロレスラーたちとの闘いを通して、最強プロレスラーとしての足跡を残してきた。

しかし、年月と共に若手の台頭も著しく、また自分自身の体力の衰えを含め、これまでとは違う「自己プロデュース」の時代に入っている。

(本文敬称略、写真提供:新日本プロレス)

家飲み酒とも日記