インタビュー 情熱と挑戦の先に

「初音ミク」、オタク会社員をプロ音楽家に育てる

40mP/イナメトオル ボカロP(ボーカロイドプロデューサー)、ミュージシャン(前編)

文:十代目 萬屋五兵衛 / 写真:山田 大輔  05.17.2017

デジタル技術の発達によって生まれた音楽の職能「ボカロP(ボーカロイドプロデューサー)」。その代表的な存在が、今回登場する40mP(よんじゅうめーとるぴー)またはイナメトオル氏である。自宅で音楽制作に勤しんでいた“オタク青年”は、いかにしてプロの音楽作家に成長したのか。青年の活動歴を振り返りながら、デジタル時代の変遷を追う。(前編)

デジタル技術の発達が目覚ましい昨今、自動車の自動運転、外国語から日本語への自動翻訳など、少し前のSF映画のような技術が次々と登場している。そんな今、改めて触れたいのが「ボーカロイド(VOCALOID)」だ。

「音声」の英語表現である「VOCAL」という言葉に、「…のような(もの)」という意味を持つ「…OID」を付けて作られた造語である。直訳すると「音声のような(もの)」。楽器や音響機器などを手掛けるヤマハが開発した音声合成技術の総称および、同社が販売している音楽ソフトの名称である。ユーザーはパソコンにこのソフトウエアをインストールし、歌詞とメロディーを入力すると、パソコンに歌を歌わせることができる。歌声ライブラリには複数の種類があり、2017年3月現在、男性・女性など約50種類の歌声を選ぶことが可能だ。

最近のデジタル化の波に乗り、2017年1月には学校の音楽授業向けの商品である「ボーカロイド教育版」までもが登場していた。

ボーカロイドシリーズの代表的な商品が、「初音ミク」である。音楽にそれほど興味のない人でも、名称は耳にしたことがあるだろう。それほどに著名な商品で、バーチャルシンガーの名前としても知られている。

初音ミクの“デビュー”は2007年。音楽制作シーンに大きなインパクトを与えた。音楽制作者は人間にボーカルを依頼しなくても、ボーカル録音が自宅で可能になったからだ。初音ミクは操作性の高さや声の質、そしてソフトのキャラクターとして描かれた少女のビジュアルといったソフト全体の作り方がネットを中心に受けて、瞬く間に人気を博した。

この2007年前後という時期を俯瞰してみると、ネットサービスやデジタル機器の分野でも大きな変化が起きていたことが分かる。YouTubeは著作権の問題を抱えながらも、さらに多くのユーザー数を集めていた。日本初の動画共有サイト「ニコニコ動画」のコメント機能が、コアなネットユーザーからの注目を浴びつつあった。またiPhoneなどのスマートフォンが登場し、若者の間では外出先でネット動画を視聴するという習慣が流行し始めていたのもこの頃だ。

新たな職能「ボカロP」の登場

デジタル技術を使って、パソコンが歌う曲を作れる。愛好家たちはその曲をネットを通じて聴ける。このようなインフラストラクチャーが構築されつつある中で、新たなタイプの音楽クリエイターが各所で誕生しつつあった。ボーカロイドで音楽制作をし、その曲をネットの中で発信する「ボカロP(ボーカロイドのプロデューサーの略称)」だ。

今、ボカロPと呼ばれる音楽クリエイターは何人もいるが、この中でトップランクに位置し続けている人物がいる。それが40mP(よんじゅうめーとるぴー)、別名・イナメトオル氏である。どちらの名前も本名ではなく、作家名である。

ひるがえって音楽業界全体を見てみると、これまでCD販売などで支えられてきた音楽業界は長い間低迷している。そこで働いている人々も当然そのあおりをくらっているが、そんな動向に反して、40mPはプロの音楽作家として人気を博し、ネットの尺度で見ると着実に成功を収め続けていると言っていい。取材時の3月末時点でも、ニコニコ動画における「ボカロPランキング」においては堂々1位。彼が作り出した音楽動画の再生回数は、累計約8000万回以上にも及ぶ。彼のYouTubeチャンネルの登録者数は約20万人にも達している。

しかし彼は、ボカロPとして有名になる前は、いわゆるごく普通のサラリーマンだった。ボーカロイドによる音楽制作は、趣味以上の何物でもなかった。ネットを介して多くのファンが付いてきた段階で、サラリーマン生活を捨て、プロの音楽作家としてスタートを切ったのだ。

「サラリーマンから音楽作家になったきっかけは、本当にたまたまです。時代が自分の生き方とリンクしてきたというのが理由でしょう。そんな時に、今かなと思えたんです」

40mPの半生と活動内容を通じて、技術を駆使して活躍する新しいタイプのクリエイターの素顔に迫る。

(本文敬称略)

少年の心を奪ったジブリ映画の音楽

「僕はオタクの部類だと思いますよ(笑)。一日中、ピアノの鍵盤や同じエリアに置いたPCに向かっていても、大丈夫ですから。気になる音楽はネットで調べますし、そのままピアノの音をPCに取り込んで楽しんでいます」

40mPの制作ルームには、いつでもネットで生配信ができるように、カメラがセットされている。

電子ピアノの奥にはPCのモニターが2台置かれており、生配信を見ているファンとチャットなどで直接交流する。

「ボーカロイドが登場する前までは、アマチュア音楽家が集まる音楽投稿サイトに、自分が作った曲を投稿していました。その頃は1作品に1人くらいしかコメントがつかなかったんです。でも、それでも喜んでいたんです。

当時のサイトにはニコニコ動画やYouTubeのような動画をアップロードする機能はなく、音源データだけが扱われていました。

私と同じように顔の見えない同志たちと、ほぼ1対1のような格好でコミュニケーションしていましたね。それ以外に私の作品を鑑賞していたのは、無条件に褒めてくれる家族だけでした(笑)」

40mPは、4人兄弟の一番下、末っ子として高校卒業まで、岡山県で過ごす。音楽に目覚めたきっかけは、小学生の頃に観たスタジオジブリ制作の映画「もののけ姫」だった。映画中に流れるピアノのフレーズに心を奪われたという。

「映画の中で流れてきた『アシタカとサン』という久石譲さんの曲を聴いて、なんて美しい曲なんだろう、自分でもこういう曲を弾いてみたいと強い衝動に駆られました。心に響くというのを、初めて体験したんです。

早速、家に帰って1つ上の兄が持っていたおもちゃのキーボードを弾きました。それから楽譜を買ってきて、見よう見まねで久石さんの曲をひたすら練習するようになったんです」

独学だったが、夢中で練習に励んだ。

中学生になると、他人が作った曲を演奏するだけでは満足できなくなった。

「楽器を弾けるようになると、多くの人が、自分も曲を作りたいという欲求を持つようになります。僕もそうやって、自然に自作の曲を作り始めました」

中学校では、バスケットボール部に所属した。しかし、運動はあまり得意ではなかった。部活よりも、家でピアノを弾くことのほうが夢中になれた。家に帰るとすぐに自分の部屋に向かい、時間を忘れるほど鍵盤に触った。

「ピアノを弾くことがとても心地良かったんです。基本的には一人で過ごすことが好きで、自分にとっては、スポーツをするよりも、頭に浮かんだメロディーや、自然に生まれ出る音をつなげていく時間の方が合っていたんだと思います。そういう存在をオタクと言うのであれば、僕も立派なオタクでしたし、いまだにそうです(笑)」

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