インタビュー 情熱と挑戦の先に

「人生に限界はない」 御年84歳のトライアスリート、世界の歓声を浴びてゴール

稲田弘(トライアスリート/アイアンマン世界選手権80代チャンピオン)第1回

文/写真:十代目 萬屋五兵衛 11.10.2016

世界屈指のトライアスロン・レース「アイアンマン」に挑む、アスリートの稲田弘。御年84歳の稲田が、今年2016年、ハワイで226kmを泳ぎ、漕ぎ、走り、2度目の完走を果たした。最難関レースに挑戦し続ける、世界でも有名な“スーパーグランドシニア”の人生をたどる。(全3回)

ハワイ島、2016年10月8日、午後11時44分。陽が沈み、星屑の空に小雨がぱらついてきた頃、大歓声の中、その人は戻ってきた。

足取りは226kmもの距離を自分の力だけで走破したとは思えないほど力強い。しっかりと地面を蹴り上げ、“勝者の花道”を駆けていた。

そのまなざしは、フィニッシャーズゲートを力強く見つめていた。

大きく両手を挙げ、ゴールゲートをくぐった。歓声は最高潮に達した。その人が17時間にも及ぶ旅を終えた瞬間である。

「コングラチュレーション!」。大歓声の渦の中、スタンディングオベーションは鳴りやまず、涙を浮かべる人たちも見受けられた。

その人の名前は、稲田弘(いなだ・ひろむ)、ゴール時点で83歳。11月で84歳になる。現役最年長の、世界を代表するトライアスリートだ。

70歳を超えてアイアンマンに6度参戦

稲田が挑戦し続けているのは、通称「アイアンマン」と呼ばれるトライアスロン・レースである。トライアスロンは水泳・自転車ロードレース・長距離走の3種目を連続して行う耐久競技。その中でもアイアンマンは、スイム3.8km、バイク180.2km、ラン42.195kmの総距離226kmを自力で駆け抜ける。文字通り「鉄人」でなければ走破は難しい。

ハワイ島では、アイアンマンの世界選手権大会が毎年10月に開催されている。全世界の予選会の上位入賞者が集まり、長い道のりを経て、ハワイ島のゴールをくぐる。

稲田は世界中から注目を浴びており、プロ選手を含めて“世界で最も有名なトライアスリート”と言っても過言ではない。主な理由は、稲田が数少ない高齢出場者であるからだが、実はそれだけではない。過去のスポーツ報道を通じて、稲田の挑戦ぶりを知る人が増えていることが大きい。

2015年のアイアンマン世界選手権大会において、稲田はゴールの数百メートル手前で意識もうろうとなり、崩れ落ちた。その結果、ゴールまでの制限時間にたったの5秒、足りなかった。その“不運な完走”を数多くのスポーツ系海外メディアが配信し、その姿がSNSなどネットを通じて世界中に拡散されていった。

2015年のアイアンマン世界選手権大会において、ゴール直前で崩れ落ちる稲田(写真提供:FinisherPix)

今年こそ無事、完走してほしい。こう願った多くのトライアスリートやファンたちは、稲田の“帰り”を待っていた。

そして今年2016年、プロ選手をはじめ18歳から80歳代のアスリートたちが参加したこの世界選手権大会で、稲田は前年の屈辱を満身創痍(そうい)ながら堂々と果たした。

「これで、2勝4敗になった」

ゴール直後に稲田は言った。

6度挑戦し2度目の無事完走

2勝4敗とはこれまでの戦歴のことで、稲田はこれまでアイアンマン世界選手権大会に6回出場している。制限時間内にゴールゲートをくぐったのは、今年で2回目になる。

稲田が初めてこの過酷な世界選手権大会に出場したのは、満79歳の2011年。以来、毎年のように予選を完走し、世界選手権大会の出場資格を得て、このハワイの地を踏んでいる。

2回目の出場となった2012年、80代になった時に、80代以上のカテゴリーで新たな記録を作った。そして日本人として初めて、アイアンマン世界選手権の年代別優勝者(チャンピオン)の名誉を得ている。

それ以降は毎年のように出場するも、バイクトラブルや脚の痙攣(けいれん)などで、制限時間内に完走できず、辛酸をなめていた。それだけに今年2016年のゴールは、本人にとって表現し難い喜びだったことだろう。

世界的に見てもまれな“スーパーグランドシニア”

稲田は83歳(2016年11月で84歳)にして現役バリバリのトライアスリートである。かつ現・アイアンマン世界選手権80代部門の記録保持者だ。

この事実だけでも十分に驚くべきことだが、なにしろ稲田は6年連続でこの世界選手権に出場している。80歳代を超えて苛酷なレースを完走する活力は、驚異的と言わざるをえない。世界的に見てもまれな“スーパーグランドシニア”と言っても過言ではないだろう。

稲田にシニアという言葉を適用することさえ、はばかられる。

ここで想像していただきたい。ご自身が80歳を過ぎた時、3.8kmの距離の海を泳いで、自転車で180.2kmの荒野を駆け抜けて、42.195kmのフルマラソンを走りぬく体力と気力があるだろうか?

仮にあったとしても、実現できる保証はどこにもない。気持ちだけでは無理だろう。いくら体が丈夫であっても、トライアスロンはいきなり出場して完走できるようなスポーツではない。日々の体系的なトレーニング、そして何よりも情熱が不可欠だ。

いったい稲田のどこに、そのパワーが備わっているのだろうか。

前述したとおり、昨年2015年も稲田は、その世界最高峰の舞台に立っていた。80歳代の記録をつくり、既にその世界では十分に知られた存在だった。しかし、ゴール寸前で意識朦朧となり、わずか5秒の“溝”に、悔し涙を流した。「もう年齢的にも限界なのではないか」という声も少なからずあった。

しかしそれでも稲田は見事に完走を果たした。しかも、前回よりも早い16時間49分13秒でゴールした。

人は中年期にも差し掛かると、「もう歳だから」と年齢を理由に自分の可能性の扉を閉じていく。しかし稲田の姿を見ると、年齢は単なる言い訳にすぎないという気になってくる。

稲田弘の近影

諦めることなく、最高峰の鉄人レースに挑む84歳の現役日本人アスリート。世界中から注目される最高齢アスリートの姿を通して、人生に挑戦することの重要性を考えていく。

(敬称略)

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