2006年、京都大学の山中伸弥教授が率いるグループによって誕生したiPS細胞が飛躍の時を迎えている。再生医療と創薬研究のプロジェクトが全国各地で活性化しているのだ。今回のテーマは、こうした研究に不可欠となるiPS細胞の培養を自動化する未来の装置。私たちのミライの健康を支える現場は、予想以上に進化を遂げている。研究と装置開発、双方の関係者に話を聞いた。

進むiPS細胞活用の裏で生じた“ある課題”

2006年に誕生したiPS細胞。誰にでもある体細胞から培養可能で、さまざまな組織や臓器の細胞に分化する能力、ほぼ無限に増殖する能力を有するこの細胞は“万能細胞”とも呼ばれる。2014年9月には理化学研究所の髙橋政代プロジェクトリーダーの手によって世界初となるiPS細胞を用いた臨床手術が成功。その後も再生医療の研究が全国各地の大学・研究所を中心に進んでいる。

再生医療と並ぶもう一つの柱が病態の解明による創薬研究である。例えば難病の患者から採取した体細胞をもとにiPS細胞を作製し、患部の細胞に分化させることで患部の状態や機能の変化の研究を行えば、病気の原因を解明する手立てとなる。この細胞を活用して薬剤の有効性検査、副作用の評価検査などに用いることで、薬剤の開発が飛躍的に進化すると期待されている。

再生医療や、病気の原因を解明し、新しい薬の開発などに活用できると考えられているiPS細胞

一方、研究に用いるiPS細胞は次から次へと作製できるものではない。とりわけヒトiPS細胞はほかの一般的な細胞とは異なり、培養には毎日の培地交換や3日ごとの継代(新しい培地への細胞の株分け)に加え、“職人技”にも通じる研究者の熟練した手作業が求められる。

煩雑な手順を自動化し、研究用のiPS細胞を安定供給できないものか――このような思いから京都大学再生医科学研究所はパナソニックと共同でiPS細胞の自動培養装置開発に着手した。

高精度なiPS細胞を安定供給できるようになった喜び

開発を後押ししたのは、京都大学が2013年から開始した「京都大学COI拠点研究推進機構」の活動だ。COIとはCenter of Innovationの略称であり、国立研究開発法人 科学技術振興機構が主体となって進めている産学連携による全国規模の研究開発プロジェクトのこと。京都大学はCOIの一環として「病気時サポート」の目標のもと、創薬支援システム、すなわちiPS細胞自動培養装置の開発に取り組んだ。

開発に当たり、パナソニックの開発担当者に助言を行ったのは京都大学の小長谷 周平氏だ。

「もともとは私の恩師である岩田博夫名誉教授とパナソニックの方が話を進めていて、2016年から私が担当することになりました。iPS細胞培養には煩雑なステップがありますが、それをすべて手作業で行う必要があります。この過程で大きな負担となっていたのが、細胞の培養液を毎日交換しなくてはならないことです。つまり土日を問わないということ。必ず誰かがいなくてはならなかったのです」(小長谷氏)

京都大学 iPS細胞研究所
増殖分化機構研究部門
特定研究員
小長谷 周平氏

培養作業は基本手作業。ある程度経験を積んだ研究者でも作業に時間がとられるが、研究者の卵が培養の手順を習得し安心して任せられるようになるのは早くても数カ月を要するという。研究者の身体的な負担は増すばかりだったと小長谷氏は振り返る。

加えて、高品質なiPS細胞を一定量、安定的に供給することも大きな課題である。ある意味、人のクセに左右される作業だけに、誰が作業してもまったく同じ結果が得られることはない。「何しろ生き物ですから、質の違いも現れます。培養の作業には職人技のような部分があるのです」と小長谷氏。さらに雑菌の混入によるコンタミネーション(実験汚染のこと。以下コンタミ)も極力避けなくてはならないが、これも「非常に気をつけてやっていても避けられない。極端な話、手をかざしただけでも混入する可能性さえあります」(小長谷氏)という。

これだけの複雑かつ繊細な作業を機械に置き換える――今回のプロジェクトは、まさに前人未到とも言える難題だった。

予想通り、開発作業は一筋縄ではいかなかった。「ある程度の部分を作って手を加え、検証して再度取り組む、その繰り返しでした。恐らく、最初のプロトタイプが完成するまで1年以上かかっています」(小長谷氏)。そしてこれまで人の勘に頼っていた部分を数値化するために、ともに試行錯誤しながら開発を重ねた。

「例えば細胞をちょうどいい大きさに砕く行程があるのですが、見てみるとまったく砕けていませんでした。そこで砕く際のスピードや、チューブの先の穴の大きさ、処理時間など、考えられる要因を1つ1つ照らし合わせながら進めてきました」(小長谷氏)

その結果、2017年に待望のiPS細胞自動培養装置が完成。約60日間で20回の継代作業を行った実証では96%以上の未分化率(iPS細胞の培養成功率)を達成し、熟練者と同等の“まんべんない播種”をもたらした。小長谷氏はそのメリットを次のように語る。

「精度の高いiPS細胞をある程度安定して供給できるようになったのは大きいですね。定期的な除染作業とUV灯による殺菌でコンタミ防止策も取られています。操作方法も簡単ですから、初心者に教える手間もかかりません。今までトレーニングに費やした時間が空きますから、ほかの研究に時間やリソースを割けるようになりました」

2017年に完成したiPS細胞自動培養装置

また、細胞の形態の微妙な変化を見極める部分には、パナソニックの高度な画像解析技術が採用されている。人の目では形態が悪いことは判別できても、それが何%の不良を含むのかは判断できない。しかし、機械であるがゆえにその割合を数値化できるため、「我々の経験値と合わせることで、より精度の高い細胞を作成できるようになりました。技術的には、人の目を越えてどんどん先に行ってほしい」(小長谷氏)と言う。続けて、未来への展望をこう話してくれた。

「現在、iPS細胞のニーズは膨大で、大学に限らず病院や製薬企業など、さまざまな場所で実験材料として求められています。これから研究が進むに従って、想像もできない量のiPS細胞を用意しなくてはなりません。そうなると、とても人の手では対応できなくなります。ですから、この装置が安定してiPS細胞を供給してくれることで、きっと今までにない広がりがあると信じています」