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いざ移住宣言から10年 チェコとスロヴァキアに暮らして

(2015/05/19)

海外移住する・したという話を時々耳にします。その多くは、結婚や仕事のため、あるいは温暖な国で老後をと考える人の移住だったりします。10年前、チェコへ移住した増田さん一家。後ろ盾もなく言葉もわからない国へ、中学生と小学生の子を持つ4人家族での移住は思いきった選択といえるかもしれません。どんな暮らしぶりだったのでしょうか。(文/門馬聖子 写真提供/増田幸弘)

日本を飛び出したい理由

「チェコのプラハへ引っ越そう」。増田幸弘さんの一言から、家族の海外移住計画は動きだしました。2005年のことです。幸弘さんの心の内には、「移住したい」より先に「日本を脱出したい」がありました。

左から長女、チェコの友人、聡子さん、長男

 増田さん夫婦は、子どもの教育に心を痛めていました。特に小学校高学年だった長男は、担任の先生が変わるたびに様子がおかしくなっていく。明るさや自信を失い委縮していくように見える。そんな彼を励ますどころか夫婦で叱り、状況が悪化していく。学校教育に疑問を抱き、母体である日本という国に疑問を抱く……。

 幸弘さんの父の死、住んでいる街が再開発で急に変わってしまったことへの失望、そしてフリーランス記者としての仕事のあり方も移住へ目を向ける契機となりました。日本にいても何も変わらない――。切羽詰まった思いで、海外に「子どもの教育の場」を求めたのでした。

 旧チェコスロヴァキアの時代、取材でプラハの小学校を訪れたことがある幸弘さん。日本やアメリカの学校と比較すると、先生は熱心で子どもは礼儀正しく平穏な校風によい印象を受けたといいます。中世の面影を残すプラハの街の美しさも目に焼きつきました。とはいえ、チェコは地縁も血縁もない場所。まわりの誰もが「なぜチェコに?」と不思議がり、移住そのものに否定的な人も少なくなかったとか。「チェコにまともな教育があるとは思えない」と言う人もあるなか、「チェコのおいしいビールが毎日飲めるからと答えをはぐらかしたほうが皆、首をかしげつつも納得しました」と幸弘さん。

 家族に移住することを告げた時、妻の聡子さんはその場で賛成しました。「来るべき時が来たという感じ。これからおもしろいことが始まりそうだと感じました」と聡子さん。長女も渡航を楽しみにし始めました。一方、長男は「行きたくない」と泣き、出発直前まで話し合いは続いたといいます。

チェコの村に迎えられて

 ヨーロッパのほぼ中央にあるチェコ共和国。首都プラハの中心部からほど近い人口500人ほどの村が、増田さん一家の新生活の場となりました。「村の人や学校の先生、同級生の親御さんなど大勢の人に助けられました」と聡子さん。森や川べりを散歩したり、村祭りに参加したり、地元の居酒屋でビールを飲んだり……絵に描いたような「外国の田舎暮らし」です。

子どもたちが通ったシュタイナー学校のクラスメイト

 子どもたちはシュタイナー教育を謳う公立小学校へ入学しました。「学校がこんなに自由なところだとは思いもしなかった」とは長男の感想。朝は教室にろうそくの火を灯し、一人ひとりの課題に合った詩を朗読します。教科書を使わない授業、忘れることを前提にしたイメージでつかむ学習……。日本の義務教育とはずいぶんかけ離れた学校像です。増田さん夫婦も当初戸惑いがあったようですが、子どもたちが「これまで見せたことがない生き生きとした表情を浮かべるようになった」と安堵します。

 記者としての幸弘さんの仕事は、時差や物理的な距離はあるものの、日本にいた頃と変わりはありませんでした。「長い出張をしているようなもの」。ヨーロッパで仕事を始める際、学歴を問われることも試験や面接を受けることもなかったといいます。相手が評価するのは、「何ができるか」「何を知っているか」「何を考えているか」。最大の肩書、「日本人であること」を生かし、仕事は広がっていきました。

幸弘さんの右腕として通訳の仕事をした時の長女

 幸弘さん、聡子さんは語学学校へ通い、チェコ語の習得にも努めます。家族皆が同じスタートラインに立ったチェコ語ですが、現地校に通う子どもたちの上達は眼を見張るものがありました。長男と長女のチェコ語へのアプローチの違いも興味深いものでした。「なまじ一年、日本の中学校で英語という外国語に触れたのがよくなかったのか」(幸弘さん)、長男は辞書を片手に日本語に訳して理解しようとします。長女は言葉が通じないのを苦にもせず、チェコ語をそのまま理解しようとします。どちらがより早く「生きた言葉」を身につけられるのか――日本の外国語教育のあり方を考えさせられます。

一筋縄ではいかない暮らし

 手探りながら順調な滑り出しをしたように見える移住生活ですが、「壁をひとつ乗りこえたら、次の壁が待っていた」(幸弘さん)。移住する前からマラソンのように続く移民申請など各種手続きは、役所の担当者によって言うことが変わったり、一日中並んだあげく受け付けてもらえなかったりするのも日常茶飯事です。

幸弘さんの著書。『プラハのシュタイナー学校』(白水社)と新刊『棄国ノススメ』(新評論)

 信頼していた仕事相手から報酬の支払いを拒否されたり、子どもの学校から退学宣告されたり、家主から家賃の3割アップを通告されたり……。幸弘さんの著書『プラハのシュタイナー学校』と『棄国ノススメ』には、まるで世界を相手に格闘する幸弘さんの姿が綴られています。一方、聡子さんの存在は、家族をポカポカと照らす太陽のように感じました。

 幸弘さんが苦境にある時、聡子さんは「好物の料理をつくり、できるだけそばに寄らないように、何も言わないようにしています」。春雨のサラダ、セロリとトマトのスープ、薫製さばのちらし寿司、冷凍ニシンの南蛮漬け、あんパンなど幸弘さんの好物をはじめ、焼き豚、納豆、うどん、らーめん、冷やし中華、カレー、切り干し大根、餃子、佃煮、ふりかけなどを作り食卓に並べます。「こう言うと、本当に日本ではなんでもないものばかりですね」と笑う聡子さん。漬物や干物や発酵食品も基本は一から手作りです。

 時々、村の人にお寿司の作り方を教えたり、学校で折り紙教室を開いたりするほか、オシャレに目覚めた長女のために洋服を作るのも楽しみの一つ。「私がしていることは日本にいるのとまったく変わらない」と強調する聡子さんですが、こうした安定した衣食住こそ、変化に富んだ外国生活を支える足場なのではないでしょうか。家族が異文化へ飛び込んでいくエンジンになっているのは間違いありません。

再び移住するという選択

 現在、チェコの隣国スロヴァキアで暮らしている増田さん家族。思春期に入った子どもの教育環境を改善したい思いと一人のスロヴァキア人との出会いを経て、再移住を決めました。

 首都ブラチスラヴァは、観光地でもあるプラハと比べ、郊外のベッドタウンを思わせるのどかな雰囲気です。増田さん一家にとっては二度目の外国。夫婦は、より肩の力を抜いて日々を楽しんでいるようです。

「プラハでは生活を安定させなくてはといった気負いが少なからずありましたが、ブラチスラヴァではもっと自然に生きている感じがします。私自身が外国慣れしたというか、人間は根本的にどこの国でもそれほど違いはないんだという確信を持った安心感のためといったほうが近そうです」と聡子さん。

 夫の幸弘さんへ伝えたいメッセージをお聞きすると……。「すごく暑いところはイヤです。寒いのはOK。花粉が多いところもNGです」とのお答え。それは次なる移住先のことでしょうか。家族のその時々の問題に向き合い、大きな選択をしてきた増田さん家族。「このよくわからない時代、子どもたちにどう生きる道をつけさせるのかということを夫婦でしてきたのだと思います」と幸弘さん。近い将来、子どもが自立し家族のありようが変わっていくなかで、また新たな展開があるということかもしれません。


(2015年5月19日)
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