さばのゆピープル

そのセールストークから、作り手の顔が見える

第1回:日本百貨店代表取締役 鈴木正晴さん

文:須田 泰成 / 写真:青木 祐輔 07.31.2014

世田谷区経堂のイベント酒場「さばのゆ」。全国の酒好きがカウンターで交流する、カルチャー発信基地です。 さばのゆのおもしろい常連さんを、さばのゆ代表の筆者が紹介するこのコラム。第1回は、日本百貨店の代表取締役、鈴木正晴さんが登場します。
全国各地の良いもの、美味しいもののセレクトショップである日本百貨店。鈴木さんが持つこだわりと喜びを聞きました。

日本百貨店の代表取締役、鈴木正晴さん(右)と、本コラム筆者でさばのゆ代表の須田(左)

日本百貨店の鈴木正晴さんは、爽やかな草野球チームの監督のような人です。

鈴木さんがさばのゆに来るのは、夜10時過ぎ。部下や仕事仲間を連れてやってきます。

大ジョッキのビールをグビグビ飲んで、通る声でワイワイ語り笑い合う。

仕事の話になると、時には落ち込むスタッフもいますが、しかし、そんな時の鈴木さんの口癖は、「ドンマイ!ドンマイ!ガッツでいこう!」

どんなに忙しくてもプロ野球ニュースは欠かせない野球好き。いつもビールをウマそうに飲んでいます。

そんな鈴木さんの日本百貨店は、現在8店舗。2012年に開業した御徒町本店をはじめ、上野、吉祥寺、横浜、たまプラーザ、秋葉原、羽田空港、JR池袋駅の1・2番線ホームにはキヨスク型の店があります。それぞれの店舗にそれぞれの個性があって面白い。

日本百貨店とは何かを一言でいうと「日本全国の良いもの美味しいもののセレクトショップ」。衣食住に関係するあらゆる雑貨、食品が幅広く揃っていますが、日本百貨店には、単なるセレクトショップと言い切れない何かがあります。

「うちの商品は、ぼくが現地に行って、作っている人と会って、話して、手にして、食べて、いいなと思ったものを置いています。作り手の姿勢に心を動かされて仕入れるものばかり」

こう語る鈴木さん。そこで今回はさばのゆで飲む鈴木さんではなく、働く鈴木さんに会いに、秋葉原の「日本百貨店しょくひんかん」を訪れました。

日本百貨店しょくひんかんは、2013年7月にスタート。JR秋葉原駅の高架下、AKBショップやガンダムカフェの並びの商業施設内にあります。

ここはまさに「食のテーマパーク」。80を超える陳列棚には、約4000品目もの美味が並んでいます。壮観です。

「これが売れると過疎の町が救われる」

私がいつもスゴイと思うのは、鈴木さんのセールストークです。

「須田さんさあ、この大阪のごま油スゴイよ!」と、渡されたのは、創業1883年の老舗「和田萬」の金ごま油のボトル。

「いま、ごまって安い外国産に押されて、国産の割合が1%とかなんですね。このままじゃヤバイ。この和田萬さんは、そんな状況を変えるために、ごま油を製造して売るだけでなく、ごまの畑から作って、将来のことまで考えてるんですよー。とびきりウマいしね。こういうのドンドン売りたい」

鈴木さんが次の商品を持ってきた。

「この柚子のジャムがスゴイんですよ。これね、徳島の山奥でおばちゃん、おばあちゃんが何人かで集まって作ってるの。住んでる地域が寂れていくから何とかしたいと思ってね。学校の教室みたいなところを工場にして、がんばってる。こういうのジャンジャン売りたい」

鈴木さんは、オススメの商品と一緒に、その商品の裏にあるストーリーをポンポンとリズミカルに話します。話を聞いていると、作り手の顔が見えるような気がするし、現地に行ってみたいと思うようになります。

煎餅とどら焼きの中間の「どらせん」という商品。ここの社長は、岡山から夜通しトラックを運転して試食販売に来てくれるとか
高知の名物「ミレービスケット」。工場見学に行って惚れ込んだ逸品。ミレーちゃんのキャラは、やなせたかしさん作
ひまわりドレッシングは、島根県の古代柱醤油醸造元の製品。タマネギスライスにかけると絶品だそう
静岡の老舗が製造する本格的な水出し煎茶。ユーザーに優しいアイデア商品も年々増えている
宗田節が入った容器に醤油を入れると一週間でオリジナルのだし醤油が完成。高知の企業、ウェルカム ジョン万カンパニー製

日本百貨店のホームページに掲げられた「作り手と使い手の出会いの場」というコピーは象徴的です。鈴木さんは、単なる「売る」を超越して、生産者と消費者を「つなごう」としているように思えます。

「日本百貨店しょくひんかん」の週末は、全国から作り手の方々がやってきて、自分の商品の売場に立つことも多いのです。そこでは、いろんな出会い、ふれあいが生まれています。

商社勤務のエリートから人情噺の世界へ

鈴木さんは、東京大学の教育学部を卒業して、大手商社に入社。アパレル部門で約9年間、主にヨーロッパの有名ブランドの輸入事業に携わった過去を持つ。

「ライセンシングに関わるビジネスでした。動く金額は大きくて儲かったんですけど、仕事をしている実感が薄かったですね」

しかし、欧米トップブランドに関わるうちに、日本のアパレル産業の実力も知ることになり、31歳の時に「もっと仕事の喜びを実感したい」と、日本のブランドを海外に流通させる事業で独立。やがて、日本にはもっと多様で豊かなモノづくりの世界があるのに気づきました。

日本百貨店の発想は、ある人との出会いがきっかけで生まれました。

「東京・葛飾に住むブリキのおもちゃ職人のおじいちゃんと知り合ったんです。口は悪いけど、手に取るとあったかいオモチャを作るんです。それなのに、後継者がいないから自分の代で終わりだと寂しいことを言うんですよ」

後継者の問題以前に深刻なのは、ブリキのおもちゃが昔ほどは売れないという現実でした。もしもブリキのおもちゃが売れたなら、産業の未来は明るくなり、ブリキ職人を目指す若者も現れるかもしれません。

「まず必要なのは、作る人にお金を回す仕組みだと思いました。そのためには売らなければいけない。そういうわけで、なんやかんやと苦労して御徒町に日本百貨店の第一号店を開業したんです」

落語の人情噺(にんじょうばなし)のようなエピソードが、鈴木さんらしい。

各地域の良いものを国内そして世界に

東京・上野御徒町に最初の店舗をオープンしてから4年。今では都内を中心に8店舗を展開しています。日本百貨店の店舗には、高品質は当然のこととして、上質なストーリーがプラスされた商品がたくさん並んでいます。

前述した「このごま油が売れると国産ごまの生産が盛り上がる」あるいは「このジャムが売れると過疎の地域が救われる」といった事例は、日本百貨店の活動が単なる商売にとどまっていないことを示しています。一つひとつが、持続可能な社会づくりを支えるソーシャルビジネス的な事例ともいえます。

実は、さばのゆもお世話になっています。

鈴木さんと私が手に持っているのが、木の屋石巻水産のチャリティーさば缶

2011年3月11日、東日本大震災によって発生した津波で、石巻の缶詰メーカーである木の屋石巻水産の工場が全壊してしまいました。木の屋石巻水産は、震災前からさばのゆと仲が良く、一緒に食のイベントなどの交流を続けてきました。

驚いた我々は、すぐに支援物資を送り届けながら、工場跡に埋まった泥のついた缶詰を経堂のさばのゆに持ち帰り、店先で洗って1個300円で売る支援活動をはじめました。

やがて、支援の輪がメディアを通じて全国に広がり、最終的に20数万缶が支援者の手に届きました。

2013年の春、新しい缶詰工場が完成。今では毎年新規採用を行うようになり、地元の雇用にも貢献しています。

日本百貨店では、復活した木の屋石巻水産の缶詰も常に仕入れて販売。売り上げは石巻に還元され、復興の助けとなっています。

売場から、全国各地域の商品が売れる。これにより地域の産業が活性化し、若い人の雇用が生まれれば、技術の伝承もできて、地域に希望が芽生えます。鈴木さんのやっていることは、日本のためになっていると思うわけです。

最後に鈴木さんに「夢は何ですか?」と、聞いてみました。

「ニューヨークに日本百貨店の支店を出したい!日本の良いモノを現地の人に直接手に取ってもらいたい」

日本の良いものが世界とつながり、過疎地や被災地がよみがえる。鈴木さんの夢、応援したいです。

須田泰成(すだ・やすなり)
コメディライター/地域プロデューサー/著述家
1968年、大阪生まれ。全国の地域と文化をつなげる世田谷区経堂のイベント酒場「さばのゆ」代表。テレビ/ラジオ/WEBコンテンツや地域プロジェクトのプロデュース多数。著者に『モンティパイソン大全』(洋泉社)、絵本『きぼうのかんづめ』(ビーナイス)など。
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