インタビュー 情熱と挑戦の先に

【栗城史多】劣等感の塊が、限界をぶち破った理由

挑戦の原点を探る 栗城史多氏(登山家)の場合 第1回

文:十代目 萬屋五兵衛 / 写真:菅野 勝男 11.27.2014

世界最高の頂を単独・無酸素で登り続ける栗城史多氏。2014年7月にはブロード・ピーク(8047m)への登頂に成功した。小柄な体で危険に挑む栗城氏の「冒険心の原点」に迫る。

【注:5月21日、栗城史多さんの所属事務所は、栗城さんがエベレストで下山途中で遭難し、お亡くなりになったことを公表しました。ご逝去を悼み、ご冥福をお祈り申し上げます。】

チョモランマ、別の名はエベレスト。ご存じ、「世界の屋根」と称されるヒマラヤ山脈にある世界最高峰の山で、その標高は8848m。旅客機に乗っている時に告げられるアナウンスの高度1万mにほぼ近いように感じられる地球上の最高地点。実は、日本を代表する富士山と姉妹山として登録されているのはご存じだろうか?

そして、世界中の登山家を魅了してやまないこの世界最高の頂を単独・無酸素で目指しつづけている男がいる。彼の名は、栗城史多。かつて若年無業者を総称する「ニート」とも呼ばれていた彼は、身長162cm、体重60kgという小柄な体。決して運動神経に恵まれていたわけでもなく、スポーツなどで際だった成績や経験を持つわけでもない。高校卒業まで、ただただ平凡に生きている日々を送っていた。

そんな彼が、なぜ生死を賭けて世界一の山を目指すのか?

彼は、世界の名だたる大陸最高峰の山々を単独で登頂に成功していた。

しかし、2009年に初挑戦をしてから毎年、計4度もエベレストから嫌われ、しかも2012年のアタックの際には、重度の凍傷にもなり、右手の親指以外の指を9本も失った。

「なぜあなたは山に登るのか?」という質問に「そこに山があるから」と答えたのは、人類史上最初にエベレスト登山に挑戦したイギリスの遠征隊員ジョージ・マロニーだ。実はこの山こそ、エベレストを指している。

そのマロニーたちの挑戦から32年後の1953年、エドモンド・ヒラリーらによって初登頂が記録されている。それから61年の歳月が流れた。その間にも、何人もの挑戦者がこの山に挑み、命を落としている。

そんな危険で過酷な山に、なぜ栗城は一人で酸素ボンベを担がずに登頂し、しかも、その動向を自ら撮影しネット中継をするような、無謀を試みるのか?

その原点に迫ってみたいと思う。

(文中敬称略)

劣等感の塊:妖怪人間的生活

彼に会うまでは、勝手ですが命がけで山を登る、とてつもない意思と体力を持った硬派な匂いのする登山家と思っていた。しかし初めて会った彼は、とても小柄で、物腰の柔らかい礼儀正しい爽やかな好青年だ。いわゆる『ザ・山男』の匂いは全くしない。

彼が生まれ育ったのは北海道の片田舎。彼の少年期である1980年代中盤は、子供たちの登竜門的なスポーツといえば男の子ならまだ野球だっただろう。Jリーグ発足前のサッカーにも少し火が付いていたかもしれない。ましてや、北海道のような大自然のそばで過ごせる栗城は、そこにプラスしてアウトドアでのスポーツ等で大いに遊んでいたのかと思いきや、全く対照的な少年期を過ごしていた。

「地元が田舎なので、スポーツはそんなに盛んではなかったんです。野球とかはありましたけど、団体競技はスゴく苦手で……。だから、小学校3年生のときに空手を始めました。空手は個人競技、そういう世界がいいなと思ったので。まじめに練習すれば漫画『ドラゴンボール』のカメハメ波が打てるんじゃないかと本気で思っていました(笑)。そういうのに影響を受けやすいタイプだったんですね。何でも信じちゃうという。

中学校の時は野球部にも入ってみたんですが、全く才能がないので、続きませんでした。球技系のスポーツがダメなんです。だからバスケとかをやってもパスを受けたらすぐ突き指をしちゃったりとか……。

また、走ったり、泳いだりというたぐいのスポーツも苦手です。いまだに泳げませんし、走るのも全然ダメです。だから今でもマラソンとかを何でみんなやるのかが分からなくて。中学校の頃まで『すごく楽しかったな、これは青春だな』とか感じたことはなかったんです」

*カメハメ波…鳥山明原作の大人気漫画『ドラゴンボール』に登場する主人公“孫悟空”の得意技であり、作品を代表する技のひとつ。

スポーツも勉学もそんなに好きではなかった。小・中学校と、どちらかというと引っ込み思案な方だった。そんな栗城は高校に進学しても、決して目立つような存在ではなかった。

そんな彼に、刺激を与えてくれたのは意外にも、なんと演劇だった。

「自分に自信があるという性格ではありませんでした。だから、高校に行っても学内で目立つようなタイプではありませんでした。通っていた高校は、学園祭にとても力を注いでいて、全クラス対抗の演劇があったんです。しかも演劇はすべてがオリジナルのシナリオでなければいけないというハイレベルなもので、どれもかなり盛り上がるんです。で、僕のクラスでは、僕のようにあまり目立たない、目立つことの好きではない『妖怪人間たち』が、誰もやりたがらない自作自演の演劇を必然的に選択しなければならなかったんです……」

この学園祭の演劇部門で毎年連続で優勝していたのは進学コースで学内のエリート集団。栗城のような普通コース、ましてや「妖怪人間」的な集団では相手にならない。そんな気重な思いを抱きつつ、初めての学園祭が訪れる。

「演劇にみんなが出たいかというとそんなことはありません。『何がやりたい?』と聞くと、全員が『照明をやりたい。大道具がいい。』と……。誰もステージに立とうとしないんです。目立ちたくないし、面倒だから。

ストーリーも脚本も自作しないといけない。誰も出たくない、誰もやらない。これは、マズイな。と思って、『自分が何か考えるよ』と言ってしまったんです。なぜか使命感が湧いてきて。それで、脚本を書いて自分で主演を演じ、あとの人は横でうなずいているだけ、幕も一人で閉めたりという、ほぼ一人芝居に近い演劇でした(笑)。でも、その劇が脚本賞と監督賞を獲得したんです」

そして2年生の時も優秀な成績を残した。年に一回の行事だが、ますます火がついた。そして3年生最後の演劇では、総合優勝を勝ち取った。

何か目標や夢があったわけではない普通の少年、どちらかというと日陰の存在だった自分に達成感を含めた『青春』的な感覚を抱いた。

「妖怪人間グループだから劣等感の塊だったんです。でも、それがみんなで切磋琢磨し、やっていたら3年生のときに優勝できたんです。3年目にして花が開いたというか……」

誰しも劣等感を抱くことはある。しかし、あるきっかけで全く違ったベクトルが生まれることも事実だ。栗城は演劇によって、それを作りあげる努力の大切さを知った。

その後、高校を卒業して東京に来てはみたものの、すぐに壁にぶつかる。

「せっかく東京に来たのに、北海道にいる遠距離恋愛の彼女と一緒になろうと自分で勝手に決意して、彼女に認められる男になるために必死に東京でお金を貯めることにしたんです。なぜなら、彼女が好きな人の条件が3つあったんです。1、車を持っていること。2、大学を出ていること。3、職業は公務員であること。この3つをかなえて彼女好みの男になるんだって……。

いろんなアルバイトをやって頑張って一年後に北海道に戻り、札幌の大学に入りました。公務員になるためです。そして、貯めたお金で小さいながらも車も買いました。これで彼女に認めてもらえると思っていたある日、彼女とドライブに出掛けたんです。だけど、帰り際に信じられないんですけどいきなり振られたんです。『2年間付き合っていたけど、あんまり好きじゃなかった』と(笑)」

高校卒業後、彼女のために必死に、そしてひたむきに費やした時間が止まった。その後、一人で部屋に閉じこもるという“新たな妖怪人間生活”に突入する。

毎日、布団の上でずっと寝ている生活だった。大学にも行かず、アルバイトもせず、人との関わりを一切絶っていた。そんな時、高校2年で亡くした母との約束を思い出す。

「高校生になった頃、母の肺にがんがあることがわかりました。しかし僕は『すぐに治るよ』と現実逃避をして、母の言葉を無視していました。母が入院をしても、いつかよくなるさと楽観的に考え、お見舞いにもあまり行かなかったんです。久しぶりに病院に行くと、痩せて細くなり、抗がん剤と放射線治療の影響で髪の毛がなくなり、嘔吐(おうと)を繰り返す、いままでとは違う母の姿がありました。そんな状態の母でしたが、僕に『ごめんね』と一言……。

『なぜもっと来てあげられなかったのだろう?そばにいてあげられなかったんだろう?』と、自分の愚かさを恨んで廊下で泣きました。その後、がんは全身に転移していき、最期の夜、残り少ない力を振り絞って、小さな声で『ありがとう』と口を動かして眠るように息を引き取ったんです。

その日から、『けっして弱音を吐かない。そして最期に母のように『ありがとう』を言ってこの世から去れる人間になれるように、中途半端に生きてはいけない』と誓ったんです。何か自分ができることを毎日精一杯やろう。そしてそのためには目的を持たなければいけない。だから『こんな引きこもり生活では自分がダメになっていく。ダメだっ!』って」

人間は大切な人を失った時、本当に大切なことを学ぶ。母の死を通して栗城の中に小さくも大きな核が生まれていた。母を失った時は、その悲しみを演劇に注ぎ込んでいた。だからただの“妖怪人間“から脱することができた。そして、大好きだった彼女を失った時、再び母との誓いを思い出して奮起した。

そして同時に、大好きだった彼女が趣味にしていた登山に興味を持ち始めていた。