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内なる魂の声を聴く自由を!

――常識の源流対論 イヴリー・ギトリス+木野雅之 (その2)

  • 伊東 乾

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[1/8ページ]

2009年11月17日(火)

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伊東 乾(以下、――) この座談は経済誌に掲載されるものですが、せっかくの大変貴重な機会ですし・・・木野さんもご一緒なので・・・ぜひバイオリン音楽に関するお話も伺いたいと思うんですが・・・・ええと、何から伺ったものか・・・・・・・。

イヴリー・ギトリス(以下、ギトリス) ずいぶん急き込んでいるね、ちょっと1回、深呼吸をしてごらんよ。はい、吸って・・。・

―― (吸う)。

ギトリス 吐いて・・・ねえ、みんなで深呼吸しよう。ちょっと照明の明かりが暑いなぁ。

―― (一同、深呼吸する)

ギトリス どうだい? 落ち着くでしょう?

木野 雅之(以下、木野) そうですね。

―― 本当に。僕は「呼吸が大事」なんてレッスンの本も書いているはずなのに、改めて教えていただいちゃいました・・・バイオリン固有の話題というのは、私が伺うには限界がありますから、考えていたのですが・・・木野さん、バイオリン的に、というか、バイオリニストの立場から、というか、こういう場で多くのリスナーや読者にどんな話が伝わるといいと思いますか?

木野 バイオリン的に、ですか・・・例えばエネスコとかフーベルマンとか・・・?

―― ああ、そうですね。イヴリー、あなたが師事された先生方のことで、今まで余りお話になったことのないことを伺えれば「ニュースソース」として日経ビジネスオンラインとしても意味があると思います。

ギトリス よし、分かった! じゃあ、こんな話はどうかな?

イヴリー・ギトリス氏
イスラエルのバイオリニスト。ロシア系ユダヤ人の両親のもと1922年にイスラエルのハイファで生まれる。ブラームスに愛された大バイオリニスト、ブロニスラフ・フーベルマンに才能を見いだされ、パリ音楽院に留学、ジョルジュ・エネスコとジャック・ティボーに師事。カール・フレッシュの下ではひと夏ジネット・ヌヴー、ヨーゼフ・ハシッドらと共に学んだ。第2次世界大戦中、ユダヤ人のギトリス少年はティボーの家に匿われ名前をイヴリーに変え、ナチス占領下のパリから脱出するが、ロンドンでも空爆に見舞われ、九死に一生を得る。軍需工場での労働や慰問演奏などで活動は制約されたが、第2次世界大戦後、19世紀以来の超絶技巧を伝えるトップ・ソリストとして活動を開始し、1950年代には現代曲の解釈で高い評価を受ける。並行してジャンルを超えたコラボレーションを展開。イアニス・クセナキス、ブルーノ・マデルナなど現代音楽前衛の世界初演から、アフリカの伝統音楽家たちとの即興演奏、1968~71年にかけてはジョン・レノン(ザ・ビートルズ)、エリック・クラプトン、ミッチ・ミッチェル(ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス)、キース・リチャーズ(ザ・ローリング・ストーンズ)らとのユニットにも参加。フランスでヴァンス音楽祭を開催し、日本には1980年以来頻繁に来演し録音、音楽祭参加、公開レッスンを精力的に行う。1988年よりユネスコ親善大使に就任し「平和教育と文化と寛容さを支持する」と内外に宣言。87歳の現在もオリジナルな音楽活動を旺盛に続けている。(写真:大槻 純一、以下同、「コフィッシュ」「楽譜」の写真を除く)
木野 雅之(きの・まさゆき)氏
1963年東京都生まれ。日比野愛次、篠崎功子、西川重三にバイオリンを学ぶ。桐朋学園を経てロンドンのギルドホール音楽院でイフラ・ニーマン、卒業後はナタン・ミルシテイン、ルッジェロ・リッチ、イヴリー・ギトリスに師事。88年、ギトリスとの共演はフランス、スペインでテレビ放映された。ソリストとしてロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団、ベルリン交響楽団、ポーランド国立放送交響楽団、モスクワ放送交響楽団、ロンドン・モーツァルト管弦楽団、エネスコ管弦楽団などと競演。現在はロンドンと東京を本拠地とし、日本国内では名古屋フィルハーモニー交響楽団コンサートマスターを経て日本フィルハーモニー交響楽団、ソロ・コンサートマスターも務める。後進の指導にも情熱を注ぎ、97年から毎夏、長野県白馬村(2007年まで)三重県志摩市合歓の郷(2008年から)にてマスター・クラスを開催、2009年8月には第3回球磨川音楽祭を主催。桐朋学園大学、武蔵野音楽大学でも教鞭を執る。

脈々と続くバイオリニストの系譜

ギトリス 僕が最初にバイオリンを習ったのは6歳の時で、先生はエリシェヴァ・ベリコフスキという人だった。

―― 1928年、イスラエル・ハイファでのことですね?

ギトリス うん。彼女はアドルフ・ブッシュ(1891~1951、ドイツのバイオリニスト。1912年にデビュー、1917年に26歳でベルリン高等音楽院の主任教授に就任し、多くの人材を育てる。1935年、ナチス政権下のドイツからスイスに亡命)の生徒だった。

木野 なるほど。

ギトリス それだけじゃなく、アウアー(レオポルド・アウアー、1845~1930、ハンガリー出身のユダヤ系バイオリン奏者、教育者、指揮者、作曲家。1868~1917年のロシア革命までペテルブルク音楽院で教鞭を執る。1918年にアメリカに渡り、フィラデルフィア・カーティス音楽院で後進を指導。門下からエフレム・ジンバリスト、ミッシャ・エルマン、ナタン・ミルシテイン、ヤッシャ・ハイフェッツなどを輩出)の生徒でもあったんだ。

―― それは大変に貴重なことですね。アウアーはチャイコフスキーからバイオリン協奏曲を献呈され(たのに最初は弾かなかっ)た本人ですから、イヴリー、あなたはまさに直伝で弾いておられることになる。

ギトリス 彼女の次にバイオリンを習ったのは、ミラ・ベン=アミという先生で、彼女はシゲティ(ヨゼフ・シゲティ、1892~1973、ハンガリーのバイオリニスト。ブダペスト音楽院でイェネー・フバイに師事、1904年にブラームスの盟友・ヨーゼフ・ヨアヒムのピアノ伴奏でベートーベンのバイオリン協奏曲を演奏して評価される。第1次世界大戦、ロシア革命の起きた1917年、25歳でスイス・ジュネーヴ音楽院教授。第2次世界大戦中の1940年アメリカに移住、やはり亡命した作曲家=ピアニスト、ベラ・バルトークを伴奏者に演奏活動、バルトークからは多くの作品を献呈されている)の生徒だった。

木野 先生の師匠というと、エネスコの名前が有名ですけれど・・・。

コメント4件コメント/レビュー

音楽のコンピューター化に対する危機感。これに深く同調致します。機械的な時間感覚を正しいと思っている人が、日本の音楽大学に多いというのは少々驚きました。藝大で学ぶほどの学生ならば、そういった音楽の本質に関わる事柄についてはそれなりに考え、悩んでいるのではないかと思っていたのですが・・・。(2009/11/17)

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音楽のコンピューター化に対する危機感。これに深く同調致します。機械的な時間感覚を正しいと思っている人が、日本の音楽大学に多いというのは少々驚きました。藝大で学ぶほどの学生ならば、そういった音楽の本質に関わる事柄についてはそれなりに考え、悩んでいるのではないかと思っていたのですが・・・。(2009/11/17)

音楽が好きな人の嬉しそうな会話は、読んでいても気持ちの良いものです。 音楽で楽しさを憶えた時が「内面の本当の自由」の始まりならば、無学な私でもその入り口に立っているのかも知れませんね。 そう思うと幸せな気分になれます。  素朴な疑問ですが、バイオリンの調弦ペグは何故ギア式にしないのでしょう?調弦し難くありませんか?  (無学ちゃん)(2009/11/17)

本当にすばらしい対話!この歓びは言語化できません。一つ一つのやりとりに心から共感しました。紡ぎ出される言葉がどれも美しく、その力強さと儚さのあまり泣きそうになりました。personalityとは、particularityではなくalterityの経験であるということをあらためて実感します。こんなに素敵な対話を掲載してくださった編集部にも感謝。(2009/11/17)

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