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震災を乗り越えて出でよ! 第二の楽天・三木谷浩史

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  • 2011年3月22日 火曜日
  • 小林 直樹

 巨大地震の発生から9日ぶりに、80歳女性とその孫が救出されたというニュースは、多くの日本国民の心にひとときの安らぎを与えた。被災地周辺の道路や電気、水道が徐々に復旧していく様子を目にすれば、力強きニッポンへの期待がわき起こる。

 被災地ではまだ、深刻な食料や燃料の不足が続いており、この段階で、「復旧後」さらには「復興後」を口にするのは、はばかられるかもしれない。

 一方で、ヒトには将来への光や希望が重要なのもまた事実。1995年に起こった阪神大震災を乗り越えたことで、日本有数の起業家となった人物を本稿ではご紹介しておきたい。その名を、三木谷浩史という。

その時、29歳の銀行員だった

 95年1月18日、神戸市須磨区。日本興業銀行(当時)の行員だった当時29歳の三木谷浩史は、遺体安置所となった公民館で、幼少のころ可愛がってくれた叔父、叔母と悲しみの対面を果たした。明石市の実家は難を逃れたものの、友人も3人失った。

昨年1月17日、三木谷氏はTwitterで阪神淡路大震災の体験を振り返った

 興銀では、買収に次ぐ買収で事業を拡大していたソフトバンク社長の孫正義の補佐役を務め、震災当日も一緒にニューヨークに発つ予定だった。だが、親族の訃報に接し、急きょ予定をキャンセルする。翌日、駆けつけた故郷の焼け野原と化した風景と、毛布もかけられずに並べられた500もの遺体の列を目の当たりにしたことが、三木谷の価値観を変える契機となった。

 「人はいつか死ぬ。人生は有限だ。残された時間は少ない」

 もともと上昇志向は強かった。若手行員だった頃、その方向は興銀の幹部に、そして頭取になることに向かっていた。91年から2年間、同期最速で米ハーバードビジネススクールへの留学を勝ち取った後で考えは大きく変わる。以前、三木谷は筆者にこう語っている。

 「(ハーバードの)同級生に、銀行で出世したいなんて言える雰囲気じゃなかった」

 大企業の幹部になるより、起業することに価値がある。そう叩き込まれて目標が変わった。そして、「5年間、興銀で働いた後で独立する」というキャリアプランを、三木谷は親しい友人に語るようになる。

 帰国後、企業の大型買収・提携などをアドバイスする花形部署、本店企業金融開発部に配属となり、そこで出会ったのが孫正義だった。米インターフェース・グループの展示会部門「コムデックス」、米ジフ・デービスの展示会部門「インターロップ」および出版部門と、立て続けに敢行した大型買収プロジェクトの黒子役を果たし、大いに刺激を受けていた。

 その矢先、震災は起きた。「帰国後、5年で独立」というプランを、「2年」に縮めた。

 95年11月に興銀を退職し、コンサルティング会社「クリムゾングループ」を設立。CS放送「ディレクTV」の日本誘致に乗り出したカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)社長の増田宗昭をサポートし、そのコンサルティングフィーを起業の資金に充てた。こうして97年2月にエム・ディー・エム(現・楽天)を設立し、同年5月、「楽天市場」のオープンにこぎ着ける。

 インターネットモール(仮想商店街)というビジネスモデル自体は既に存在していた。ところが、大手シンクタンクなどが主宰したサービスは出店料が月数十万円からと高額がゆえ、テナントが集まらず、閑古鳥が鳴くという悪循環だった。

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