小川 敦生

小川 敦生

多摩美術大学美術学部芸術学科教授

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 文字を書くのが専門のはずだが、iPadのお絵かきアプリで猫だかねずみだか分からないような下手な絵を描き始めたらとまらなくなった。知り合いに見せて「画伯」と呼ばれるようになり、調子に乗っている。最近は恥ずかしげもなく教えている美大生に見せたり、図柄を印刷したTシャツを着るなどして喜んでいる。

 絵を描き始めて気づいたのは、これまでいかにクリエイティブな絵をたくさん見てきたことかということ。おかげで例えば単に猫をそのまま描くようなことに満足ができない。猫が宇宙に飛び出したり、ライオンの真似をしたり、地下組織「猫の穴」から抜け出してきた「ニャイガーマスク」になったり。絵は下手なままだが、クリエイティブな発想が生活を豊かにすることを、身をもって知るようになった。(作例は「にゃいおりん2」)

小川敦生のあーとカフェ 縄文土器の美術センスを呼び起こせ

  • 2018年08月18日(土)

 考古学の資料として扱われていた縄文土器に美術品としての“美”を見出したのは、美術家の岡本太郎だった。1950年代に、美術雑誌「みづゑ」に寄稿したエッセイの中で、東京国立博物館で見た縄文土器の美を論じたのだ。そのことを考えるたびに、「美は“発見”するものである」との思いを強くする。

 それゆえ、東京国立博物館平成館で開かれている「縄文」展には、大きな期待を胸に秘めて出かけた。最初の展示室には大きな年表がしつらえられていて、草創期から晩期までのそれぞれの時期に、美術品というにふさわしい土器が作られていたことが写真でわかるようになっていた。

縄文土器がガラスなしで展示されているコーナー(展示されているのは、新潟県十日町市野首遺跡出土の火焔型土器、王冠型土器=縄文時代中期=の数々、新潟・十日町市博物館蔵)

 紀元前1万1000年頃から紀元前1000年頃まで、縄文時代の長さは実に1万年にも及ぶ。古ければ偉いというものではないけれど、日本人の祖先と目される人々が美を愛していたと想像することが楽しい。さらに、その造形美が北海道から九州まで日本列島の広い地域で継承・展開したことに驚くのである。

 激しい炎のような造形から、火焔型土器と呼ばれる“作品”が盛んに作られたのは縄文中期である。この展覧会では、ガラス越しではなくむきだしのまま展示されたしつらえが一部にあり、火焔型土器のアグレッシブな造形美に、当時の人々が接していたのと同じ気持ちで向き合うことができた。ショーケースなどのガラスがないと、たとえ触れなくても「触感」を味わうことができる。「美術品」と呼ぶこととは若干矛盾するが、作品としてまつり上げられることによる心理的な距離感がなくなり、生活の中に美があったことが体感できるのである。

焼町土器(縄文時代中期、長野県御代田町川原田遺跡出土、長野・浅間縄文ミュージアム蔵)の数々が展示されているコーナー

    著者プロフィール

    小川 敦生

    小川 敦生(おがわ・あつお)

    多摩美術大学美術学部芸術学科教授

    1959年北九州市生まれ。東京大学文学部美術史学科卒。1988年日経マグロウヒル社(現・日経BP社)入社後、音楽、美術などのジャーナリズムの各分野で活動する。日経アート編集長や同社編集委員を経て、日本経済新聞社文化部へ。美術担当記者として多くの記事を執筆。2012年4月から現職。専門は美術ジャーナリズム論。担当のゼミでは、アート誌「Whooops!」を発行している。

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