吉田 忠則

吉田 忠則

日本経済新聞社編集委員

ニッポン農業生き残りのヒント 「鎌を持つ祖父に追われた父」の夢を継ぐ

未来へつなぐ良き農のスピリッツ

  • 2018年08月17日(金)

 10年ほど前からの知り合いのAさんが再び農業を始めた。もともとハウスでイチゴを育てていたが、東日本大震災が起きた2011年にいったん生産から離れ、栽培指導など農業に関連する仕事をしていた。そして今年、ボロボロになっていたハウスを修繕し、トマトの栽培をスタートした。施設にはAI(人工知能)を使って栽培をコントロールするシステムを導入しており、収益性の高い経営を実現することを目指している。

Aさんは今年、再生させたハウスでトマトの栽培を始めた
栽培と収入を安定させるために取り入れた日照量のセンサー

 今回取り上げるのは、いまも一部の農家が背負わされているであろう「家」という重荷と、そこからの脱却のストーリーだ。廃虚になりかけていたハウスの再生が、家からの脱却を象徴する。

 Aさんは兼業農家の出身で、いま40代前半。地方の大学に進学していたが、卒業するときに父親から「家に入れ」と言われ、就農した。「息子は家を継ぐのが当然」という空気の中で育ったため、就職してサラリーマンになるという選択肢はなかったという。

 実家に戻ると、父親と一緒に野菜作りを始めた。子どものころから農作業を手伝わされていたので、基礎的なことは体に染みついていた。それでも、2人で畑に出ると、父親からはことあるごとに、「ここはこうしろ」「あそこはああしろ」といった指図を受けた。

 半年ほどたったとき、「おやじとは違うことをやろう」と決めた。「このまま小突き回されていたら、嫌になってしまう」と思ったからだ。選んだのはイチゴのハウス栽培。施設園芸のほうが収益性が高いと思ったからだ。

 新たな作物への挑戦だったため、父親とは別の「師匠」のもとで学ぶことが必要になった。そこで、他県の有名なイチゴ農家に「弟子入りさせてください」と頼み込み、1年間修行した。桐の箱に入れた30粒のイチゴが1万円の高値で売れるような、高い技術の持ち主だった。

    著者プロフィール

    吉田 忠則

    吉田 忠則(よしだ・ただのり)

    日本経済新聞社編集委員

    1989年京大卒、同年日本経済新聞社入社。流通、農政、行政改革、保険会社、中国経済などの取材を経て2007年より現職。2003年に「生保予定利率下げ問題」の一連の報道で新聞協会賞受賞。

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