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2020年以降は動画の見方や広告が変わる

テー・オー・ダブリュー社長 江草康二氏に聞く(後編)

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2018年1月22日(月)

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創業者から、実質的な2代目社長としてイベントの企画・制作・運営などを手掛けるテー・オー・ダブリュー(TOW)の社長を引き継いだ江草康二氏。同氏は、業績を順調に伸ばしている。その過程で目指すのは、社員が自ら考える会社。他社と協業することで刺激を受け、考えるようになってほしいと同氏は言う。

家業を継ぐ気もなく学生時代までずっと遊んでいた

ご実家も事業を営んでいますが、子供の頃からそういった熱、事業への思い、人を説得する力を持たれていたのでしょうか。

江草:いえ、そんなことはないと思います。私は次男で、会社を継ぐつもりはありませんでした。小学校では吹奏楽部でフルートを、中学校では陸上部で1500mをやっていて、高校ではラグビー、大学ではヨット。要するに遊んでばかりいました。

 大学卒業後に電通に入社したのですが、電通を受けたのは入社試験が面接だけだと聞いたからです。成績で選ばれては、どこにも入れないと思っていました。私は1つのことをひたすらやるのには向いていないので、電通でなら何とか仕事ができるのではないかと。

 入社が決まってからは何の根拠もなく、将来は電通の社長になるんだと思っていました。入社しましたら名古屋に配属になり、次は岐阜です。銀座勤務だとばかり思っていましたし、同期には東京勤務者が多く、腐っていましたよ。ようやく東京へ戻ってからも、しばらくは浦島太郎状態です。

 そこから一生懸命仕事に打ち込み、大手飲料メーカーの担当になって多くのことを勉強させてもらいました。仕事も楽しく39歳で部長にもなったのですが、生意気の盛りだったんでしょう、12年も担当していたお得意様とぶつかって、その担当から外されることになったんです。

 その頃、電通のOBがいる外資系のブランド・エージェンシーから声を掛けてもらい、どこか自由を求める気持ちもあって24年間勤めた電通を案外あっさり辞めました。それからしばらくしてTOWから声を掛けてもらいました。そういう人間です。

えぐさ・こうじ テー・オー・ダブリュー(TOW)代表取締役社長兼最高経営責任者(CEO)。1961年東京生まれ。判例集や、法律政治、経済などの雑誌・書籍を出版する有斐閣の創業家に生まれる。次男。83年立教大学経済学部卒、同年電通に入社。2007年ヘッドハンティングにより、オグルヴィ・アンド・メイザー・ジャパンに入社し、取締役マネージング・ディレクターに就任。10年にTOW入社。執行役員社長室長などを経て12年7月に社長兼最高執行責任者(COO)、13年9月から現職。(写真:山本祐之)

アライアンスを組まれる一方、2017年7月には「体験デザイン本部」を立ち上げられましたね。これは何を目的とした組織ですか。

江草:手掛けたプロモーションのデータを取得し、どれだけ計算通りに運んだのかお客様に説明する材料にすると同時に、効果的なプロモーションのプランニングをしていこうとする部署です。イベント事業でも、PDCA(PDCA cycle、plan-do-check-action サイクル)を正しく回していくための組織です。

 これまでは、プロモーションは「面白い」「今までにない」などと評価されることが多かったのですが、事業の効果などをしっかりとデータ化していきたいと思っているのです。

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