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社員と100日計画を実施し急成長の波に

チューリッヒ生命 日本における代表者 太田健自氏に聞く(前編)

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2017年7月7日(金)

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2012年にチューリッヒ生命の日本代表に就任した太田氏は、「Zurich Quality」の提供を標榜するなど会社の方向性を固めながら、特徴のある保障性商品を開発・販売するなど就任以前に比べ新契約の年換算保険料を17倍にした。太田氏は就任後、何を変えたのか。

チューリッヒ生命の日本代表に就任された経緯を教えてください。

太田:私は以前、AIGにおりましたが、(2010年にAIG傘下のアリコがメットライフ生命へ売却されて)、当時の私の最も大事なミッションは、メットライフへの統合が成功することだと考えていました。それに1年ほど関わった時点では成功していたと思います。その頃、チューリッヒ生命から声をかけられて12年1月に着任しました。

 チューリッヒ生命が、日本で生命保険事業を始めたのは1996年です。損保はその10年前ですので、グループとしては今年で31年、生保は21年になります。外資系の保険会社は、法改正後の73年から参入が始まっていますから、そのときに参入していたメットライフなどに比べると、少し遅かったかもしれません。ですが、この10年でインターネット専業の保険会社を興した方もいますから、20年以上というのは、歴史があるとも言えると思います。

 参入後、最初の5年くらいは契約数がいいペースで増えていました。しかし、その後、2002年、03年にチューリッヒグループ全体が危機を迎え、アジアの幾つかの国では事業の売却や撤退もありました。ただその後、グループとして再び成長の活路を見いだそうという意思決定がされ、日本でも生保に力を入れようということが11年頃に決まりました。

おおた・けんじ チューリッヒ・ライフ・インシュアランス・カンパニー・リミテッド(日本支店)日本における代表者兼最高経営責任者。1963年東京都生まれ。米スタンフォード大学大学院経営学修士(MBA)課程修了。85年ソニーに入社後、92年ジェミニ・コンサルティング・ジャパンに転職、最終職歴はシニア・パートナー(共同経営者)。2002年AIGに転職、常務執行役員、06年からAIGイースト・アジア・ホールディングス・マネジメント・インク常務執行役員やリージョナル・バイス・プレジデントを務める。09年からアメリカン・ライフ・インシュアランス・カンパニー日本支店(現メットライフ生命保険)専務執行役員。12年から現職。(写真:山本 祐之)

ソニーからの留学中、起業したくなり退職

さらにそれ以前、太田さんはどのようなビジネスマンだったのか、教えてもらってもいいですか。

太田:AIGの前はコンサルティング会社にいて、その前はソニーに在籍していました。もともと私は4歳まで日本におり、それから家族と一緒に米国へ渡り、12歳までをそこで過ごしています。姉と兄のいる末っ子で、2人から6年と5年離れていますので、割と自由にやっていました。12歳で帰国し、17歳で大学へ進むためまた米国へ行き、その後、日本へ戻ってソニーに入社しました。

 ソニーから経営学修士(MBA)取得のために米国へ留学させてもらうのですが、留学中に退職届を出してしまいました。留学前に10年はソニーで働くという誓約書を書いていたので、留学費用は請求してほしいと会社にお願いし、その通りにしてもらいました。

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