• ビジネス
  • xTECH
  • クロストレンド
  • 医療
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版
  • 日経BP

経営とは、左右に振れるらせん階段のようなもの

オイシックスドット大地高島社長が取り入れた小倉哲学(後編)

2018年1月18日(木)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

 宅急便の生みの親にして、戦後有数の名経営者・小倉昌男氏。彼の自著『小倉昌男 経営学』は、今なお多くの経営者に読み継がれている。

 ヤマトグループは小倉氏が去った後も、氏の経営哲学を守り、歴代トップが経営に当たってきた。日経ビジネス編集部では2017年7月、小倉氏の後のヤマト経営陣が、カリスマの経営哲学をどのように咀嚼し、そして自身の経営に生かしてきたのかを1冊の書籍『ヤマト正伝 小倉昌男が遺したもの』にまとめた。

 本連載では、ヤマトグループとは関係のない外部の経営者たちが、小倉昌男氏の生き様や経営哲学にどのような影響を受けてきたのかを解き明かす。『小倉昌男 経営学』の出版から約19年。小倉氏の思いは、どのように「社外」の経営者たちに伝わり、そして日本の経済界を変えてきたのだろうか――。

発売から約19年経った今も長く読み続けられている『小倉昌男 経営学』
2017年夏に出版した小倉氏の後の経営者たちの物語『ヤマト正伝 小倉昌男が遺したもの』

 2000年6月にオイシックスを設立し、ネット通販サイト「Oisix」を立ち上げ、最初は生鮮食品20品目の販売からスタートした同社。その後、オイシックスは「ふぞろい野菜」の販売や定期購入サービス「おいしっくすくらぶ」など、個人向けの食品宅配サービスで新しい付加価値を生み出し続けてきた。高島宏平社長はオイシックス創業以来、同社を率い、2017年10月には大地を守る会と経営統合。オイシックスドット大地の社長に就任し、同社を率いている。そんな高島社長が、折に触れて思い返してきたのが、小倉昌男氏の姿だったという。小倉氏の姿から何を学んだのか。

高島宏平(たかしま・こうへい)
1973年生まれ。1998年に東京大学大学院工学系研究科を修了後、マッキンゼーに入社。2000年に退社し、オイシックスを設立。2013年に東証マザーズに上場。2017年にはオイシックスと大地を守る会が経営統合し、オイシックスドット大地の社長を務める(撮影:竹井 俊晴、ほかも同じ)

小倉昌男さんは、既得権益を持つ行政などとも闘いました。宅急便という新しいサービスを生み出すことで、それまで郵政などが独占していた事業に風穴を開けました。「生鮮品」という視点では、オイシックスの存在も似ているように感じます。

高島社長(以下、高島):私たちの場合は、存在そのものが小さかったので、既存勢力からあまり気にされることはありませんでした。2017年にオイシックスと大地を守る会が経営統合して、当社の規模が大きくなった最近になってようやく、気を遣うようになりましたね。

 小倉さんはゼロから1を生みましましたが、最初から社会の中で存在感のある会社として業態を転換したので、かなり大変だったと思います。サービス開始当初から大きな反発があったことは容易に想像できます。

 一方で私たちの場合は人知れず始めたサービスでしたから、最初はあんまり抵抗されることはなくて、単に自分たちのビジネスをつくる苦労の方が多かったですね。

 少しは影響力があるのかもしれないと感じたのは東日本大震災のことでしょうか。原発事故の直後に私たちが放射能検査を始めたことがきっかけとなって、多くの流通業が同じようなことを始めました。規模の割には結構見ていただいているんだろうな、と感じはします。

 それでも、まだまだ規模は小さい。でもね、それでもいいんです。争いたくはありませんから。私たちは我が道を行きたい。それが本音ですね。

放射能検査については、最初に実施したということで賛否両論あったのではないでしょうか。

高島:当時は結構、反発もありました。政府にも呼びつけられましたし、農林水産省からは、一民間企業が安全を担保するとは何事だ、それは国の仕事だとお叱りを受けました。一方で、経済産業省からも呼ばれたのですが、こちらは“頑張れ”という感じでしたね。

 小倉さんは官と闘いましたが、『小倉昌男 経営学』を何度も読み返すうちに、個人的には見方が変わってきました。マーケティングとしての効果もあったのではと、今は思うんです。この本で小倉さんは、「闘うことが大切」と書かれてますが、それは同時に費用対効果の高いマーケティングであったのかもしれないな、と。新聞に出した意見広告にしても、効果は大きくて、全国に広がりましたよね。

 これはかつて聞いたことがあるのですが、ヤマト運輸の幹部の方々は、当時、官僚ともかなり話し合いを重ねていたそうです。小倉さんが闘っている舞台裏で。

 小倉さんの後、1987年に社長を引き継いだ都築幹彦さんは、運輸省(当時)との免許問題の折衝を一人で行ったと、自著の『どん底から生まれた宅急便』に書いていらっしゃいます。

 ヤマトグループの中には、小倉さんの語る歴史と都築さんが語る歴史とが存在している。役所嫌いで国と闘いながら表舞台から民意を得る小倉さんと、役所と調整をして免許の取得を各地で進める都築さんが、それぞれ存在した。そしてきっと、都築さんから学んだ人もたくさんいるでしょう。

「私の中の小倉昌男」の目次

オススメ情報

「経営とは、左右に振れるらせん階段のようなもの」の著者

永井 隆

永井 隆(ながい・たかし)

ジャーナリスト

新聞記者を経て1992年からフリーとして独立。著書に『サントリー対キリン』(日本経済新聞出版社)、『人事と出世の方程式』(同)、『国産エコ技術の突破力!』(技術評論社)など。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント

いただいたコメント

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

貧乏な家に育ったから、とにかくお金に飢えていた。

神田 正 ハイデイ日高会長