“血みどろ絵”の画家、月岡芳年の真の力を見る

 武蔵坊弁慶と牛若丸が京都の五条大橋で戦う場面を描いた錦絵《義経記五條橋之図》。弁慶が実に強そうだ。牛若丸はその攻撃を身軽にかわす。真ん中にぽっかりと浮かんだ満月が両者の戦いを照らしている背景描写が優雅さを演出する中で、躍動感と緊張感を両立させた見事な作品として仕上がっている。

月岡芳年《義経記五條橋之図》(明治14年[1881年])
3枚続の横の広がりが、映画のワイドスクリーンのような迫力を与える1枚。動きの一瞬を捉えた描写力も見事だ

 この絵は、東京の練馬区立美術館で開かれている「芳年―激動の時代を生きた鬼才浮世絵師」展で展示されている。作者の月岡芳年(1839~92年)は、幕末に生まれ、江戸時代の日本の画家たちに不遇だった明治前半を果敢に生きた浮世絵師。大判の錦絵(浮世絵版画)を3枚横に並べて1つのダイナミックな風景を描いたのは、師匠の歌川国芳が得意とした手法である。

 社会の欧化が急激に進んだ明治前半の東京で芳年は、"血みどろ絵""無惨絵"などといった言葉で語られる絵を描いた画家として知られてきた。ところが、この展覧会で企画者はまず、"血みどろ絵""無惨絵"の画家のイメージの払拭を図っている。「芳年が残酷な場面を描いたのは生涯の中でもほんの数年間のことであり、ほかに見るべき仕事がたくさんある」(同館主任学芸員、加藤陽介さん)というのである。

 筆者も反省せざるをえなかった。やはり"無惨絵"の画家として芳年を捉えていたからだ。芳年のことを筆者が初めて知ったのは、1990年ごろのこと。「こんな凄い絵を描く画家がいるんですよ」と、あるコレクターからその当時入手したという作品の写真を見せてもらったのだ。妊婦を逆さ吊りにした下で老婆が刃物を研いでいる場面を描いた《奥州安達がはらひとつ家の図》という錦絵だった。極めて猟奇なその風景は、二度と忘れられないインパクトを放っていた。その頃は"血みどろ絵"や"無惨絵"といった言葉を知らなかったが、芳年の名前を聞くと常にその作品のことを思い出した。

月岡芳年《英名二十八衆句 稲田九蔵新助》(慶応3年[1867年])
“血みどろ絵"の例

バックナンバー

著者プロフィール

小川 敦生

小川 敦生

多摩美術大学美術学部芸術学科教授

日経マグロウヒル社(現・日経BP社)入社後、日経アート編集長や同社編集委員を経て、日本経済新聞社文化部へ。美術担当記者として多くの記事を執筆。2012年4月から現職。専門は美術ジャーナリズム論。

閉じる

いいねして最新記事をチェック

アクセスランキング

記事のレビュー・コメント

レビューレビューを投票する

とても参考になった
 

82%

まあ参考になった
 

8%

参考にならなかった
 

8%

ぜひ読むべき
 

78%

読んだほうがよい
 

13%

どちらでもよい
 

8%

いただいたコメントコメント0件

コメントを書く