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1974年、カルーセル麻紀と「オネエ」の時代

ブラウン管の向こうで、励まされた人たちが歩き出した

2017年2月8日(水)

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 「オネエ」と彼らをひとくくりにするのは随分雑なことではあるけれど、そこをどうかお許し頂きたい。その上で考える。彼ら(彼女たち?)が お茶の間を、いや社会を席巻し始めたのは、一体いつからなんだろう?

 男として生まれたけれど、女性の言葉で話す、いわゆる“オネエタレント”たち。バラエティ番組で、スタジオゲストで、その毒舌や辛口トークを見ない日はない。今回の取材で、時代の分岐点をたどってみると、1人のパイオニアの存在に行き着いた。

 はるな愛は言う。「キワモノ、イロモノと見られていた時代を切り拓いてくれた」。

 IKKOは言う。「うらやましいと思いました。そういう生き方もできるんだって」。

 挙げられた名前は、カルーセル麻紀。

 1974年8月5日、性転換手術を受けた後、男性婚約者との結婚を宣言。その瞬間、時代が確かに動き始めたのだ。時代の分岐点となったその事件を、今回はIKKO、はるな愛、ピーコ、カルーセル麻紀本人の視点から紐解いていく。

釧路から銀座、モロッコ、パリを経て

常識を破り、時代を切り開いたパイオニア、カルーセル麻紀。性転換手術を遂げ、時代の寵児に登りつめるまでには想像を絶する物語があった

 カルーセル麻紀は戦争のさなか、北海道釧路に生まれた。名前は徹男。小さな頃から自分を「俺」とか「僕」とか呼べずに育った。小学校の時のあだ名は「ナリカケ」。とても嫌だったそのあだ名の由来は、男または女の「成りかけ」だ。

 中学生の時に三島由紀夫の『禁色』を読んで、そういう世界があることと、自分に気づいた。そしてテレビで見た美輪明宏を「希望の星」と感じた。二つ上の姉の服を借りて着るのが嬉しかったが、両親は猛反対。15歳から家出を繰り返し、17歳で銀座のゲイバーで働き始める。

 当時、ゲイボーイと呼ばれていた人たちは女装をしていなかったが、徹男は見た目も女性以上に女性らしくすることにこだわった。失恋を機に、体の女性化も進める。舞台やテレビに活躍の場を広げる一方で、完全に女性になりたいと考えて、1973年に性転換手術のためにモロッコへ。そして1974年8月5日、婚約者と共にパリから帰国した。

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「1974年、カルーセル麻紀と「オネエ」の時代」の著者

久保 健一

久保 健一(くぼ・けんいち)

NHK プロデューサー

1972年、千葉生まれ。平成9年NHK入局。「プロジェクトX~挑戦者たち~」「プロフェッショナル仕事の流儀」などの制作に携わる。現在、NHKエデュケーショナルにて「アナザーストーリーズ~運命の分岐点~」や「世界入りにくい居酒屋」などを担当。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

片瀬 京子

片瀬 京子(かたせ・きょうこ)

フリーライター

1972年生まれ。東京都出身。98年に大学院を修了後、出版社に入社。雑誌編集部に勤務の後、2009年からフリー。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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