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利休切腹から、千家復興までの苦難の道のり

2017年1月13日(金)

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華やかな「大名茶」の時代へ

木下:逆らったら利休と同じ目に遭うぞと。…利休はさぞ無念だったでしょうね。

 ではその後、利休が亡くなって、利休の茶はどのように受け継がれていったのでしょうか。

生形:利休の弟子衆は大名ですから、茶の湯は大名による「大名茶」・「武家茶」の時代になっていきます。

木下:利休七哲(しちてつ)の一人である古田織部ですね。織部は「へうげもの」という異名でも語られますが、「織部焼」という奇抜な茶碗も残しましたよね。

生形:利休は、信長、秀吉の下で活躍しました。天下人の御成の茶会を催す「天下の宗匠(そうしょう)」なんです。利休切腹後、天下の宗匠は、まず古田織部。ただ織部は大坂の陣で、反乱の疑いをかけられて切腹となります。その後、織田有楽が引き継ぎ、その次が織部から茶を学んだ小堀遠州。

木下:小堀遠州は、武家茶の本流みたいなところがありますよね。

生形:遠州の後は、片桐石州になります。ただその(家光の)時代になると茶の湯は武家茶として完成して、天下の宗匠は必要なくなっていくんです。そうした経緯もあって、江戸時代の武家茶は、後の松平不昧(ふまい)、井伊直弼もそうですが、「石州流」の流れが多いのです。

木下:利休は天下人の茶の湯に応えるとともに、一方で侘び茶を求めたという、言うなればオールラウンドな茶人でしたが。

生形:遠州までの武家茶・大名茶は、利休の意図していたようなものとは違う、華麗で豪華な一面がありますよね。

木下:小堀遠州と言う人は、二条城などの修繕奉行もしていたようですが、優美で均整のとれているものを好むというイメージがあります。

生形:遠州の流れを汲む石州は、利休の孫である千宗旦(そうたん)との出会いから、侘び茶の影響を大変受けて。大名茶の書院的な一面に、さっぱりした美しさが入る。これが「きれい寂び」ですね。ただきれいじゃなしに、「寂び」が入っているという。

木下:この頃は「寛永文化」が花開いた時代でもありました。

生形:利休切腹後、利休の先妻の息子である道安が一時身を寄せていたとも伝えられる飛騨の大名、金森家の嫡男(ちゃくなん)であった金森宗和(そうわ)が京都で、近衛信尋(このえのぶひろ)たち、お公家さんの世界に武家茶を広めたんです。寛永文化を生み出す背景の一つには、宗和の茶の湯の活動もあったと思います。

木下:寛永文化と言えば、桃山文化と元禄文化に挟まれた時期の、上方の雅やかなイメージがありますが、そのような時代には、なかなか侘びとか寂びとか、そういった美意識は通じにくいところがあったのではないでしょうか。

生形:今日から見れば、能楽の観阿弥・世阿弥も能楽の本流に見えますけれど、当時は異端なんです。

 今、三千家の茶の湯人口は、日本の茶道人口の多くを占めていますが、江戸時代は、武家茶が多くを占めていたでしょうし、そういう意味では利休の侘び茶もやっぱり異端だったのかもしれませんね。

左手で茶碗が支えられ、茶筅で点てられる

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「利休切腹から、千家復興までの苦難の道のり」の著者

木下 真理子

木下 真理子(きのした・まりこ)

書家/書道文化研究会 主宰

雅号は秀翠(しゅうすい)。中国及び日本古来の伝統芸術としての漢字、漢字仮名交じり書を探求。自身の創作活動の他に、映画、出版物、展覧会、広告等、様々な分野の題字を手掛ける。書道研究会「翠風会」を主宰。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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