• ビジネス
  • xTECH
  • クロストレンド
  • 医療
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版
  • 日経BP

野中広務お別れ会に見た変わりゆく葬送観

密葬が主流になりつつある死後の送り方

2018年6月18日(月)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

京都を発信地として企業のことや京都人のモノの見方などを綴る

 突然であるが、ベストセラー本『京都ぎらい』(朝日新書)をお書きになった国際日本文化研究センター教授の井上章一先生は、私の母校である京都市立嵯峨小学校の、20期上の大先輩にあたる。本書の書き出しは「京都にはいやなところがある」である。

 京都人は自負心が強い。私は井上先生のこの言葉を、反語として捉えている。「京都にはいやなところがある。しかし、京都ほど素晴らしいところはない」

 私は今年4月、東京生活を終えて、京都にUターンした。大学進学時に上京し、新聞記者、雑誌記者を経てこの度、家族を連れて実家に戻ってきた。東京生活に疲れた、というのも正直なところではあるが、実は実家が寺で、寺の後継におさまる準備に入らねばならない。東京生活はそれなりに謳歌したが、ついに年貢の納め時、というわけだ。

 手前味噌ではあるが、自坊は恵まれた立地環境にある。世界遺産の天龍寺に隣接し、ちょうど、竹林のトンネルのすぐ脇にある。近隣には嵐山・渡月橋、大河内山荘、常寂光寺、落柿舎などの観光名所が点在している。

 しかし、ハッキリ言って、うちは大した寺ではない。

 檀家も少なく、拝観寺院でもない。お寺の世界には「肉山骨山」という呼び方がある。肉山とは、多くの檀家を抱え、また、納骨堂や不動産などで潤っている寺院を指す。いっぽうで骨山は、肉山とは対照的に、兼業していかねば食えない寺、ということになろう。うちの寺はもちろん、後者にあたる。

 それでも私が寺に戻る決心をしたのは、最期はこの麗しき京都の景観の中に埋もれたい、と考えたからだ。

 本コラムでは、ここ京都を発信地にして、京都の企業のことや京都人のモノの見方、歴史文化の話などを、仏教者+ジャーナリストの立場で綴っていきたいと思う(ネタに困った時は、若干、コンセプトから逸脱するかもしれないが、お許しいただきたい)。

 少し、私の専門分野について述べたい。

 私は2015年に上梓した『寺院消滅──失われる「地方」と「宗教」』(日経BP社)を皮切りに、これまで宗教と社会のかかわり、日本人の死生観の変化などのフィールドワーク調査と研究をしてきている。

 たとえば、日本に点在する寺院はどれだけあるだろう。よく例えられるのは、コンビニエンスストアの数との比較であるが、コンビニは5万5000店。寺は7万7000寺。寺のほうが2万以上も多いのは、意外かもしれない。

 しかしながら、その寺がどんどん「消滅」しているのである。2040年には全国の寺院のうち35%が消えてなくなるとの推計がある。理由は、都市への人口の流出、少子高齢化である。地方問題を論ずる時、実は寺の実情とダブらせるとわかりやすかったりする。

 今春からは東京農業大学の教壇に立つことにもなった。ここでは、「農業と仏教」というテーマで主に大学1年生を相手に、一般教養の授業を受け持っている。たとえば、いろんな作物の種は中国から僧侶が持ってきたり、農村のコミュニティーはムラの中の寺が中心であったり、各種祭りは農村の結束を強める要素も多分にあった。

 このように、仏教の視座を交えながら、現代社会におけるミクロ、マクロの問題をとらえていきたいと思う。

 では、本コラムの第1回目に入ろう。

コメント20件コメント/レビュー

「寺の子として『不本意ながら』寺を継がねばならない」これが著者の本音なのだろう。
「仏教者+ジャーナリストの立場で綴っていきたい」と言うが仏教信者の正覚は見えない。
なぜ弔問客の悪口を言うのか。十善戒のひとつも修め切れない者が僧侶にはなれない。

そもそも密葬は本葬(告別式=お別れを述べる会)とセットだ。
その本葬が「お別れの会」などと称して儀式色・宗教色を薄めてイベント化してきた。
これは腐敗する遺体の早期処理が必要だったからで、著名人になるほど本葬が大々的になるので、準備期間も長くなるという事情がある。

つまり密葬(家族葬・直葬含む)は死者本人が冥土へ旅立つあるいは極楽往生するための儀式であり、それを本人のごく身近な者が見送るという考え方であって"薄葬"などと揶揄される筋合いではない。

また他の方も指摘なさっておられるが「本日が親族の密葬」は間違い。
上記のように密葬は本葬と対であり、密葬するなら死者の友人知人、縁故者などのために「本葬=告別式」が別に催されるのだから著者の言うような状況にはならない。

こうした基本も知らない者が僧侶なんぞになるから、人々は寺から離れていくのではないか。(2018/07/25 19:55)

オススメ情報

「きょうの坊主めくり」のバックナンバー

一覧

「野中広務お別れ会に見た変わりゆく葬送観」の著者

鵜飼 秀徳

鵜飼 秀徳(うかい・ひでのり)

ジャーナリスト、浄土宗僧侶

1974年、京都市生まれ。新聞記者、日経ビジネス記者、日経おとなのOFF副編集長などを歴任後、2018年に独立。「宗教と社会」をテーマに取材を続ける。正覚寺副住職、浄土宗総合研究所嘱託研究員、東京農業大学非常勤講師。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント

いただいたコメント

「寺の子として『不本意ながら』寺を継がねばならない」これが著者の本音なのだろう。
「仏教者+ジャーナリストの立場で綴っていきたい」と言うが仏教信者の正覚は見えない。
なぜ弔問客の悪口を言うのか。十善戒のひとつも修め切れない者が僧侶にはなれない。

そもそも密葬は本葬(告別式=お別れを述べる会)とセットだ。
その本葬が「お別れの会」などと称して儀式色・宗教色を薄めてイベント化してきた。
これは腐敗する遺体の早期処理が必要だったからで、著名人になるほど本葬が大々的になるので、準備期間も長くなるという事情がある。

つまり密葬(家族葬・直葬含む)は死者本人が冥土へ旅立つあるいは極楽往生するための儀式であり、それを本人のごく身近な者が見送るという考え方であって"薄葬"などと揶揄される筋合いではない。

また他の方も指摘なさっておられるが「本日が親族の密葬」は間違い。
上記のように密葬は本葬と対であり、密葬するなら死者の友人知人、縁故者などのために「本葬=告別式」が別に催されるのだから著者の言うような状況にはならない。

こうした基本も知らない者が僧侶なんぞになるから、人々は寺から離れていくのではないか。(2018/07/25 19:55)

 田舎在住の30代ですが、まだこちらでは家族葬は少数派で、この年代になって親族や知人の親などの葬儀に参列することが増えてきました。これが当たり前だったので、都会では家族葬が主流になりつつあるという話を読んで驚きました。
 葬儀にかかる費用やしきたりなど、不透明で煩わしい部分も多いように感じますが、家族葬ばかりというのも寂しいですね。最後に、亡くなった方のお顔を見て見送るという経験がないと、死を実感としてとらえられないような気がします。(2018/07/25 18:08)

過日、子供がおらず配偶者も介護施設に入っている伯父が亡くなったのですが檀家になっているお寺があるため対応に苦慮しました。葬儀を出せる者が居ないが、菩提寺に断りなく葬儀を省略して火葬に付すと後日埋葬を拒否されることがあるとの事で仕方なく菩提寺との交渉やら埋葬までの手順交渉など本意ではないながら担うことになりました。その他お布施の金額やらその先の墓地維持等問題山積で、お寺さんの言い分も分からなくはないですが核家族化やそもそもの信心の在り方が薄くなりつつある中、旧来の葬儀に固執しても理解が得られない状況に変わってしまったのだと思います。(2018/06/21 13:19)

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

外交において個人プレーで短期的な成果を手にしようというのは交渉相手の術中にはまり、うまくいかないものです。

齋木 昭隆 三菱商事取締役・元外務次官