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昭和スタイルを演じ続けた星野仙一の舞台裏

明大で培った武士道、愛情交え若者にも貫く

2018年1月13日(土)

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明大・島岡監督から受け継いだ武士道

 星野氏が楽天の監督になった時に、「果たして昭和スタイルのマネジメントが通用するのかどうか注目だ」という趣旨の原稿を本誌系列のWebサイトで書いた。

 「昭和スタイル」とは、古いという意味ではない。乱闘や鉄拳制裁も時には辞さない、組織の先頭に立って戦うリーダーのマネジメントだ。

 ビートたけし氏がスポーツ新聞(日刊スポーツ・1月7日付け)の追悼記事にコメントを寄せていたが、その文言を借りれば次のような表現になる。

 「怖いけど一度惚れたら付いていく」

 そんな心理が星野氏と出会った選手たちに働くのだろう。

 そのスタイルのルーツをたどれば、やはり明治大学の「御大(おんたい)」こと、故・島岡吉郎監督に行きつくはずだ。島岡監督の教え子で「御大」とのエピソードを持たない明治OBはいない。

 数々の理不尽や蛮行を乗り越えて、明治の選手たちは島岡さんと一緒に戦った。リーグ戦で負けて帰って、徹夜で翌朝まで練習することなど当たり前。ミーティングで日本刀を畳に刺して、負けたら「腹を切れ」とげき(檄)を飛ばすこともあったらしい。そうしたエピソードは、明治の選手だけでなく、他大学の選手にも伝わっていた。それがそのまま明治野球部のカルチャーであり、相手を圧倒する部風だった。

 島岡監督の生き方の根底にあったのは、武士道的な死生観か?

 とにかく命を懸けて戦う。そんな激烈な精神性を島岡軍団は有していた。そして、星野仙一が生涯放ち続けた魅力に、こうした明治の芳香を感じずにはいられない。星野仙一も言うまでもなく、島岡吉郎の厚い薫陶を受けている。

 星野氏のマネジメントを「昭和スタイル」と評した理由は、彼のリーダーとしての言動に常に「恐怖」の匂いがあったからだ。中途半端な姿勢を許さない。前述のように彼はそのスタイルが今の若者には通用しないことを十分に知っていたが、それでも大切な何かがそこにあることを疑ってはいなかった。

 だから彼は自らが経験した理不尽と恐怖のエッセンスを現代風に抽出して、戦う者が持つべき気概として若い選手たちに訴え続けてきたのだ。その意味でも星野仙一は誰よりも時代を読むリーダーだったと言えるだろう。

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「昭和スタイルを演じ続けた星野仙一の舞台裏」の著者

青島 健太

青島 健太(あおしま・けんた)

スポーツライター

5年間のプロ野球生活の後、オーストラリアで日本語教師となる。帰国後、スポーツライター、テレビキャスターとして活躍。現在は、鹿屋体育大学、流通経済大学、日本医療科学大学の客員教授として教鞭をふるう。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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齋木 昭隆 三菱商事取締役・元外務次官