• ビジネス
  • xTECH
  • クロストレンド
  • 医療
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版
  • 日経BP

父は死の2カ月前まで海外出張に出かけた

病院を抜け出し串焼き店で語り合った2人きりの時間

  • 三森 智仁

バックナンバー

[1/5ページ]

2017年8月3日(木)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

 2014年7月。

 定食店のランチタイムは忙しい。客足が一段落すると、私はいつものように休憩室の椅子に腰掛け、ひと息ついた。

 そのとき、手元のスマートフォンが鳴った。母(三森三枝子)からだった。

 当時、私は大戸屋ホールディングスに入社して2年目。埼玉県戸田市にある店で、店主をしていた。大戸屋では、「自分の店」という意識を持って主体的に働いてもらうため、店長のことを「店主」と呼ぶ。

 「お父さん、体調が思わしくないって言っていたでしょ。今日、病院に行って検査を受けているらしいの。あなたから電話して、様子を聞いてくれないかしら」

 母は不安そうだった。

 父の三森久実が、出張先のニューヨークから予定を繰り上げて帰国したのは、その1週間前。父は弱音を吐かない人なので、予定を繰り上げるというのは、よほどのことだろうと私も心配していたが、深刻には考えていなかった。

 父はほとんど休みも取らず、仕事づめの日々を送っていた。年齢も50代後半になり、そろそろ体にガタが来ているのかもしれない。スマホを手に、そんなことをぼんやり考えていると、ちょうど父から電話がかかってきた。

 「まだ検査結果は出ていないけれど、おそらく肺がんだな。智仁、本部に戻ってきてくれ。いろいろ頼みたいことがある」

 毅然とした声に、覚悟のようなものが感じられた。

 検査結果はまだなんだろ。父さんの思い過ごしだよ――。そう言うつもりだったのに、声の強さに押されて、うまく言葉が出てこない。

 父との短い会話を終えると、しばらく何も考えられなかった。

 ふと我に返り、母に電話をかけようとしたが、思いとどまった。さっきの言葉は父の推測にすぎない。あくまで、父は最悪の事態を想定しただけ。そんな話は母にしないほうがいい……。自分を納得させるように、何度も心でつぶやいた。私はゆっくりと腰を上げて、休憩室を出た。体中に鉛を縛りつけられたような重苦しさを感じながら。

余命1カ月の宣告

 それから数日後。

 検査結果を聞くため、東京都港区にある東京慈恵会医科大学附属病院に向かった。

 こちらからは父と母と私、そして大戸屋の窪田社長の4人。窪田社長は大戸屋のトップであると同時に、父の母方のいとこでもある。また、父の兄の三森教雄(のりお)はその病院で消化管外科の医師をしており、おじも同席した。

 主治医は、私たちの前で「余命1カ月」と告げた。

 病名は小細胞肺がん。進行が速くて、父の場合、手術ができない状態だった。抗がん剤が効かなければ1カ月で命を落とすという。

 そのとき、父はまだ56歳。そんな馬鹿なことがあっていいのか、と思った。

オススメ情報

「定食・大戸屋をつくった男とその家族」のバックナンバー

一覧

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント

いただいたコメント

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

目に見えない部分、 普段は気付かれない部分に 象印の強さがある。

市川 典男 象印マホービン社長